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人生は一本道ではない

仕事の一環で、朱葉会展という展覧会を観に行った。朱葉会とは日本初の女性絵画の公募団体で、設立は大正時代までさかのぼる。当時は女流画家が拠点とできるグループがなく、勉強と発表の場として設立されたそうだ。伝統的な絵画から現代アート的な作品まで幅広い作風が見られて面白かった。

ところで、この「朱葉会」という団体名の名付け親は誰かご存知だろうか?歌人の与謝野晶子である。会場には与謝野晶子の作品も展示されており、小ぶりだが素敵な作品を見られた。



日本の社会では「専念の美学」と言えるような、ひとつのジャンルを極めるべきだという考えが強い。芸事は「道」で、目の前にまっすぐ一本伸びているようなイメージで捉えられがちだ。

本業を外れることをすれば、遊んでいる場合かと言われる。副業や転職という言葉にも、どこか邪なニュアンスがつきまとう。ミュージシャンは政治を語るんじゃない、くだらないブログなんて書いてるからいつまでも営業成績上がらないんだよ、君は。

けれども人間は、芸事を極める「ために」生まれてきたわけではない。ヒトは社会的な価値を生み出す「ために」生まれてきたわけではない。あくまで無目的に生まれ、無目的に生きていくものだ。それは道を途中まで究めた者であっても同じで、目的の「ために」命があるということにはやはりならない。

人間のエネルギーは四方八方へと向かうもので、カテゴリーや美大での学科名というものは些細なことでしかない。もっと欲張りに、もっと色んなジャンルを跨いでいいはずだ。ジャンル名のために死にたまふことなかれ。

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