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定食屋にて(エッセイ)

定食屋で昼食を頼んだら、彼女が急に再開発の話をはじめた。以前、西荻窪の再開発のことを話したことがあって、それを思い出したようだった。そこは初めて行った魚の定食屋さんで、彼女はカツオのたたき丼定食を、私は日替わりの焼き魚定食を注文し、待っているところだった。

西荻窪は再開発しなくてもいいと思うけど、すべての再開発が悪いわけじゃなくて、たとえば私は立川の街が好きだけど、あれは再開発の成功例じゃない?ということを言った。彼女が小平に住んでいたときには二人でよく行っており、私も立川が好きだった。

私は、再開発が必要な場合もあるとは思うけれど、例えば再開発でチェーン店が流入してくることによって東京との経済的な主従関係ができてしまったり、街の歴史が断絶してしまうと数十年後に再び再開発が必要になることが多いという一般論を話した。彼女には特定の答えを期待していたわけではなかったようで、肯定とも否定ともいえない感じの反応だった。結局、再開発が嬉しい人もそうでない人もいて、立場によって感じ方は違うのかもね、という地点に結論を着地をさせたところで、定食が届いた。

私の定食は日替わりの割には普通の味で、大げさに言えば期待外れだった。彼女の食べるカツオのたたきは美味しいようで、そちらを注文すべきだったと後悔しながら食べた。私はごはんを、彼女は味噌汁をおかわりした。

そのあと彼女が散歩したいと言いだして暑い中二人で一駅ぶん歩いた。汗だくで入った喫茶店でクリームソーダを食べ、電車の窓から手を振ってさよならをした。はじめは気乗りしなかった散歩も歩いているうちに楽しくなったが、家に着くと疲労がどっと出て、部屋の中でのびてしまった。でも後悔しているわけではない。賛成・反対や損・得の境界というのは曖昧でベチャっとしているものなのかもしれない。結局、なぜ急に再開発の話になったのかはわからなかった。


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