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競争とサバイバルの中で(エッセイ)

昨日の日記はいささか早足だった。整理すると、要点は二つあった。

①競争とは究極のコミュニケーションだということ

競争が成立するためには、参加者相互の平等という前提を共有していなければならない。参加者が平等性を感じて、全員が勝利への欲望していることが、競争が成立する条件となる。

ホイジンガは人間と動物の差異に「遊び」を挙げたけれど、それも「前提の平等を共有し、勝利を欲望できるのが人間」だと言い換えられる。競争というのは、人間の根本的な性質のひとつだといえる。

②なんだかんだ日本人は勝負事が好きだということ

たとえば日本代表戦の盛り上がりや、ヤンキー映画の興行的人気なんかを目の当たりにすると、日本人はなんだかんだで勝負事に熱中するのが好きな国民なのだと感じる。「陽気さ」ともまた違う、熱しやすく冷めやすい国民性を感じる。

公営ギャンブルが充実していて、パチンコ屋が駅前に並ぶというのも、日本人の勝負事好きの証拠のように思えてくる。海外にもカジノはあるけれど、ギャンブルがカジュアルに街中にある国は珍しいはずだ。出張で行ったスペインでは一軒も見なかった。



「競争」というものに私がネガティヴな関心を持っているのは、現代社会の「サバイバル」化という問題があるためであろう。富める者はより富み、貧弱はより貧する、富が一部に集中していく(しかも不正に!)社会状況に、おそらく私は不満を抱いている。

勝ちたい訳ではないけれど、もちろん負けたくはない。社会から振り落とされるかもしれないという不安がぼんやりと存在している。この社会でどのように逃走線を引くのか、資本主義の前面化に個人として対抗していくのか。スタンスで何かを表現しなければ、巻き込まれていくだけなのだろう。そういう時期なのかもしれない。

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