誕生日(で奢らされたというエッセイ)
今日は同僚の誕生日だった。優秀な営業マンである彼は、人に食事を払わせるのが天才的に上手い。当然奢らされることになると見越して、私は朝から展覧会場近くの高すぎないレストランに目星をつけておいた。
そこはビアホールのような洋食屋だった。ミートソースの掛かった大きなオムレツが特に美味しかった。私はビールを2杯飲み、下戸の彼はノンアルコールのカクテルを頼んだ。二人で酔ったように笑い合い、私はまんまと楽しく奢らされたのだった。
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ここ数日は、日記に書くような大文字の出来事が続いているのに、頭の中が整理できないまま、日記に書けないでいる。薄味のサイクルの日常を過ごす身には、濃すぎる日々だ。普通のひとの毎日は、こんなに忙しいものなのだろうか。言葉の処理が追いつけていないでいる。
楽しさは、「一人の時間が欲しい」という気持ちとセットなのだろうか。孤独と自由はいつも抱き合わせなんだろう、という歌詞を思い出す。慌ただしく時間が過ぎて、何も残せていない自分に愕然とする。常にぼんやりとした焦りに浸っている。誕生日を心の底から楽しめる日は、当分まだ先なのだろう。
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