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(やぐま)さんは、自分にお土産買わないんですか?(エッセイ)

友達のいない10代を送っていた人間にとっては、お土産を渡す相手が存在するというのは大変幸せなことだ。その相手は、いまも交流が続く大学のサークルの先輩だったり、いつもお世話になっている美容師さんだったり色々。付き合いの濃淡もさまざまで、近しいけれど買わないという友人もいる。

いまの仕事に転職してから、定期的に地方へ出張する機会が訪れるようになった。「〇〇へ行ってきたんですよ」という話をしながら、儀礼的に品物を差し出す。なるべくカジュアルに、相手の重荷にならないように。高価なものを渡すわけではない。相手の顔を浮かべながら、「ちょっとしたもの」を携えて帰る。



「(やぐま)さんは、自分へのお土産とか買わないんですか?」と訊かれた。セビリア大聖堂のミュージアムショップを覗いているときに、一緒に観光していた同僚から訊かれた。大聖堂は高々とした天井が素晴らしく、厳かさを全身に浴びるような体験だった。私は建築や宝の数々に圧倒されていた。

「なのに(やぐま)さんは、自分にお土産買わないんですか?二度と来れないかもしれないんですよ!」どうやら、そういうことらしかった。



私は、自分にお土産を買うのが苦手な性質のようだった。というより、自分にお土産を買う感覚がさっぱりわからない。自分にお土産を買うという感覚が、どうやら私には欠けている。

私はもっと、私を大事にしてあげるべきだ。もっと贅沢をさせてあげたほうがよいらしい。私は自分に自信を持てないまま死んでいくのだろうか?自分にお土産を買うというのは、どんな気持ちなのだろう?明日の昼の飛行機で、日本に戻ってくる予定だ。

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