「のんびりすること」(エッセイ)
昨日、日記に「二人で荻窪までのんびりと散歩して、西友と無印で買い物をした。」という一文を書いた。日記に「のんびり」という言葉を使ったのは、たぶん初めてだった。書いてみて初めて、私がこれまで「のんびり」することを無意識に自分に禁じていたのだと気づいた。
思えば、私の辞書に「のんびり」という言葉は無かった。常にやらなければいけないことに迫られ、時間がないと思いながら暮らしていた。私にとって、何もしていない空白の時間は「ダラダラ」という認識だった。なんなら、常に目標やタスクに追われて、忙しなく過ごしている自分に、酔っていたのかもしれない。
私は無意識に、時間の余白を過ごす自分を責めていた。体調を崩してみて、それはとても幼稚な態度なのだと気づいた。
*
時間の余白を、「のんびり」過ごすというのはとても難しい。キャンバスの塗り残しを、そのまま肯定するようなもので、意識的にでないとできない行為なのだと気づいた。のんびり過ごすというのは、肩の荷を下ろすようなもので、そのためにはまず、荷を「荷」として認識することが必要なのだった。
今日の日記は拙いと思う。それは「のんびり」することにまだ慣れていないからだ。私にとって、「のんびりすること」はとても難しい。これは私の当面の目標になるのだと思った。