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弱肉強食に抗う 2024/01/26

いつも砕けたツイートをしている後輩が、珍しく真面目な記事をシェアしていた。難病のALS患者が、経済的負担から安楽死を選んだ事件に関するものだった。困窮時に働くことすらできない状況というのは、たいへん苦しいことなのだろう。その上、自死すら選べない絶望など、想像すらできない。

数時間後、今度はひろゆきのツイートが流れてきた。放火事件の裁判に関連して、「明らかに死刑になる犯罪者には治療を施す必要がなかったのではないか」という旨を投稿で、ツリーには非難が殺到していた。昔の自分であればヒドい意見だと退けていたのだろうが、不謹慎にも考えさせられる自分がいた。

もちろん現実には、死刑が明らかな場合はあるのかという前提の問題や、医師が死を後押しすることへの倫理的問題もある。私が医者だとしたら、犯罪者であろうと絶対に治療するだろう。いまの判断が間違っているとは全く思わない。

けれど、死刑になるべき人間に限りある医療や資本のリソースを注ぎ込むのが、もったいないのも事実だ。そんなことに使うのであれば、もっと医療や支援を必要としている人間に回してほしいというのが人情のように思える。犯罪者にも人権はあるが、その犯罪者自身は他者の人権を明らかに侵害しているわけで、議論は思ったほど単純ではない。生命が尊いものだからこそ、より多くの生命が守られるように福祉が最大化されるべきだという考え方は、あながち誤りではない。

結局、社会は誰かの犠牲のうえで成り立っていて、私の生活だって例外ではない。弱肉強食といってしまえばそれまでだが、弱肉強食に抗うことはできないのか。

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