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ハック主義の虚しさ 2024/02/26

昨日の続き。ハック主義的な思想について考えると、きまってテスト勉強というものにたどり着く。

テストのための勉強は虚しい。誰かの敷いたレールの上を強制的に競争させられる。良い点数を取ることに何の意味があるのだろう。それは競争であって勉強ではない。学生時代はそんなことをずっと思っていた。

社会に出れば、作問者はいないし、勝てばお金が貰える。勝てばモテるし良い生活もできる。けれども、突き詰めれば競争が虚しいのは同じだ。価値のない労働に幻想を見出して互いを蹴落としあう。勉強を続ける人間もいなくなった。

私がハック主義を受け入れられないのは、ゲーム自体のバカバカしさを無視できないからだ。

ハックを使って効率的に状況を攻略しましょうというのは、直訳すれば「もっと働け」という意味で、社会から労働者として買い叩かれている状況は変わりない。

ハック主義を受け入れられないのは、人生はゲームではないという信念があるからではなく、むしろ人生がゲーム的にくだらないという可能性に耐えられないからなのだろう。

ゲームに強制参加させられる不条理さを受け入れられる人間は勝ち上っていくのだろうが、私はその不条理にいまだに戸惑い続けている側の人間だ。

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