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父のような生き方

24歳の誕生日を迎えた。歳を経る毎に、誕生日の特別感は失われていくような気がするが、いつも通りが心地良いと思うようになった。

松浦弥太郎さんの本を読んでいる。
きっかけは父。暮らしの手帖の愛読者であり、生き方や考え方が好きだと、松浦さんの本は実家にたくさんあった。本屋で手に取った一冊、「いちからはじめる」が自分にとってとても良く、2月に入ってからは他の本も含めてずっと松浦さんの本を読んでいる。

松浦さんの本を読んでいると、父を思い出す。
民藝、器、木を使った重たい家具、本、コーヒーが好きな父。休日はコーヒーを飲みながら、飽きることなく焼き物を丁寧に触り眺めていた。ひとり黙って焼き物が並べられた木棚を開ける時間を、とても大切にしていた。恐らく何千、何万の器が家にあるが、ひとつひとつの作り手のこと、歴史をこと細かに覚えていた。器を取り扱うお店に行けば、お店の方と数時間器について話をして嬉しそうに帰ってくる。手仕事のものは価格も安くなく、家計のこともあり母はいつも呆れていたが、好奇心があり、知ることに時間を惜しまない父は本当に尊敬できる。
30年以上日記を続けているらしく、週末は早起きをしていつも手帳に何かを書いていた。教師をしている父だが、専門分野はもちろんそれ以外の本も常に手元に置いていた。知人も少なからずいるはずだけれど飲み会は滅多に行かない。職場の人とも父なりの距離をとっていた感じだ。
「ていねいな暮らし」と最近はよく聞くが、父は自然に、ものに対しての感謝や、自身の心への誠実さ、勤勉さを持ち続けてきたのだと思う。

器や服を扱うあるセレクトショップで、「民藝や松浦さんが好きなんて、オシャレですね」なんて言われていて、嬉しそうだった。自分の経験や感覚で好ましいもの•価値のあるものを見出し、生活に取り入れてきた父はセンスがいいと、我が父ながら思う。

自他ともに認めることだが、少しずつ父に似てきた。というよりも、自分の心地良い生活を考えていたら、いつの間にか父のそれに近づいていた。
本が好きになり、器が好きになり、作り手が分かる食べ物が好きになり、日記を毎日書き、松浦さんの考え方や生き方に少なからず共感した。

私も父のように、歳を重ねながら、自分の大切にしたいものは何か、価値を置くものは何か、どんな人間でありたいかを考え続ける人でありたいと思う。

実りある一年に。

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