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死にがいか生きがいか

やっと資格試験が終わった。合格した。
試験会場から本屋に向かって3冊まとめ買い、その足でカフェに向かった。時間を気にせず本を読みコーヒーが飲める、間違いなく幸せだと感じる。

私が勉強をするいちばんの理由は「安心する」からだと最近思う。今日も私はなにか増えた、という安心感。成長していない自分 ではない、という安心感。この安心感が欲しくて、私は勉強している。向かっていける何かがある自分の方が充実している気がしてしまう。

朝井リョウさんの「死にがいを求めて生きているの」を読んだ。文章から自分なりの感想を持ち、それを言語化するのが苦手(分かっていないのに文学を分かった風に語るのが烏滸がましい、という気持ちなのかも)で、いつもフィクションを避けているけれど、たまには!と思い手を出した。
ゾワゾワする心に残る文章は沢山あったけれど、例によって感想を持つのは苦手なので、そのまま覚書。


本編より
「絶対にこうなる、と未来に起こるはずの変化を力強く唱えられるような、そんな変化を引き寄せられる自分の力を信じていられるような、そんな日々をもう一度、自分の手で手に入れたかった。」

「お前、変わらないな。相変わらず、手段と目的が逆転してる。」

「年齢を重ねていく中で、求心力となりうる要素は変わっていく。自分が持ち合わせていた要素が有効な時代はもう終わったならば、自分の中身を更新していかなくてはならない。
変わらない、それは、幼い、という言葉に言い換えられる。」

「生きていくためだよ」
「それは、ホームレスの人たちが?」
「それとも、めぐみが?」

「結局全部自分のため。自分は生きる意味がある人間で、この人生には価値があるって思いたいだけ。」

「人間本来の生きる意味なんて、普通の暮らしの中で見つけられるのに。命の使い方なんて、生きがいなんて、どこにいたって感じられるはずなのに。」

「そういうものだから、で色々片付けちゃうの、やめないとなって思った、今」

「自分こそ、生きがいがないと生きていけない人間なのではないか。」

「本当に立ち向かうべきものがあるとして、それは、目の前の誰かではなく、向かい合う二人の背後に広がる歴史のほうなんだよ、きっと。」


あとがきより
「本作で見つめた地獄というのは、他者や世間の平均値からの差異でしか自分の輪郭を感知できない人間の弱さです。」

「誰もがありのままでいいと叫ばれる時代に生きながら自分と誰かを比べ続けてしまう苦しみ、自分で自分の意義や価値をジャッジし続ける行為は、心の内側から腐っていくというか、外から見ても傷の在り処がよくわからない。」

「平成という時代に、口先だけの優しいフレーズはたくさん生まれましたが、何もない人生への焦燥、無価値に感じられる自分への恐怖は、そういうまやかしを一瞬で打ち砕いていきます。」

「人間だけが「ありのままでいい」という精神状態を保つというのは、実は、相当の思考や胆力が求められる難しい営みだと思うんです。」

「ここに正解が書かれているわけではないし、解決策が提示されているわけでもないが、打ちのめされるような現実に直面したときこそ文学の言葉が必要だと私は思う。」


この本に書かれているフレーズが、これまで自分の頭に漠然と溜まっていた考えと繋がっていくような感覚があった。

上野千鶴子さんが言っていた『フェミニズムが否定しているのは「男性性」であって、個々の「男性存在」ではない』という言葉は、
立ち向かうべきは目の前の誰かではなくその人たちの背後にある歴史のほうだ、という部分に。

起業したい、世の中に影響を与えたい、と大きな夢を語る友人に私が疑問を持たずにいられなかったのは、「結局全部自分のためなのでは、自分は生きる意味のある人間、人生に価値があると思いたいだけなのでは」と考えてしまうから。自分が「何者か」になるために、対象を利用しようとしているのではないかと考えてしまうから。

そういう自分の冷ややかな部分を口に出せないのは、結局自分も、仕事や勉強という立ち向かうものがなければ、自分自身を肯定することができないから。そんな弱い自分を知ってしまっているから。

他人との比較無しで自分の幸せを実感したい、と強く思うのは、実際には、気づいたら他者や世間の平均値からの差異をはかって、自分の精神状態を保とうとする自分から逃れられていないから。


向き合わなければいけない思考が自分の中からどんどん出てきて、整理しきれていない。
フィクションでこんなにぐるぐる頭がかき回される感覚は初めてで、難しくて辛いけど楽しい!と思った。


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