企業の文化・風土は簡単には変わらない
今日は午前中五所川原市内。昼前に青森に向かい、東北新幹線で帰ってきました。6月は観光業界では閑散期というのが昔からの定番ですが、新幹線はよく乗っており、仙台からは満席でした。着いた東京駅は、キャリーをひく日本人と大型のスーツケースを押すインバウンドの観光客で歩くのも大変なくらい。夏になったらどうなっちゃうんでしょう。
弘前から五所川原へ、五所川原から新青森へは、快速「リゾートしらかみ」を利用。快速といっても風光明媚な五能線を堪能するための、窓も大きい全席指定席の観光列車です。指定席を取るほどの距離、区間ではないのですが、ローカル列車は適当な時間に全くなく指定席列車に乗るしかなかったのです。
リゾートしらかみ用の車両は3つあり、帰りに乗ったのはもっとも新しい橅編成というハイブリッド車両。観光列車らしくこんな素敵なカウンターやフリースペースもついています。ところが、このカウンターは無人で飲食物の販売はありません。以前はここでビールやつまみなどを販売していたようですが、コロナ禍で中止されて以来復活していない模様です。
確かにコロナ禍の中では飲食物の販売は控えざるを得なかったのかもしれません。しかし、今完全に制限が解除され、旅行需要も戻ってきているなかで、これを放置して運行しているのが信じられません。申し訳程度に車両の別の場所にお菓子やソフトドリンクの無人販売コーナーを設置しているものの、旅気分は全くありません。何より、このスペースを無駄にしたまま乗った乗客のがっかり感を日々増やし続けているのです。
正直、国内最大の鉄道会社がこんなことでは情けないですよね。サービス業
が何かとか、全くわかってないってことですよね。
多分、最初にこの車両を作り、運行を開始することを推し進めた人やチームは、理想に燃えて色々なアイデアを出したり、実際に企画を実行したんだと思います。もちろん、うまくいったものもそうでなかったものもあるでしょうが、改善することでよくなっていったと思います。実際、リゾートしらかみの評判は、鉄道に疎い人たちの間でも上がってきてたのですから。
ところがです。コロナ禍という不幸な時期はあったにせよ、月日が経つ中で何が起こったのか。想像ではありますが、大企業ゆえのことだと思います
大企業では責任ある役職の人材、特に文系の場合は2-3年周期で異動することが多いです。これは昇進などでポストが開いた後を玉突きしていくこと、外部との取引などがある部署では癒着が起こらないように、定期的に人材を動かすこと、のふたつが主な理由です。したがって、コロナ禍が始まり収まるまでの間に責任者が変わってしまったのでしょう。そして新しい責任者はサービスというものに知見がないか関心がない人物だったということではないかと。
こんなことを書いたのは人を責める目的ではないです。どうしてそうなってしまったかというと、この会社にはサービスの文化や考え方が根づいてないということが言いたかったのです。これがサービスというものが現場から役員まで浸透しきっている航空会社や旅行業であれば、仮に途中コロナ禍があっても、人が変わってもそんなことにはならなかったはずだからです。大企業で、それまでの文化から飛出したような新しい事業やサービスを始めても途中でうまくいかないことが多々あますが、その典型的な例です。
JRという会社は確かに民間企業になり、上っ面のサービスはだいぶよくなりました。けれども、まだまだ本質的なところで変わりきれてないのではないかという気がします。この会社に限らず、他の地域の会社でもそれを強く感じることが多々あります。もしかしたら地域分割ではなく、上下分割して国鉄継承会社はインフラ維持と運行作業に特化して、サービスの企画と販売は旅行会社などを参入させた方が良かったかもしれないですね。
今からでもそうできないものかなぁ。少なくともまだ国が株を保有している北海道と四国はそうすべきじゃないかなぁ。
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