
DQ3HD2Dリメイクとポリコレの話
DQ3は元々「性別」という概念があるゲームでしたが、これが今回のリメイクで「スタイル」に変更されることが事前情報で明らかにされました。近年ありがちなポリコレ対応(DQとしては10辺りからこのようになっているようです)ですが、DQ3の「性別」は単なるフレーバーテキストではなくシステムへ深く食い込んでいるパラメーターであるため、「ラッキーマン」を「ラッキーパーソン」にするといった小手先の変更で対応しきれるものではありません。そこをどうするのか、注目が集まるところでした。
そしてDQ3HD2Dリメイクは発売日を迎え、蓋が開けられました。出てきたのは小手先の変更だけをしたスタイルの仕組みでした。「おじょうさま」や「おとこまさり」と言った性別限定の性格の名称が変わり(それぞれ「ブルジョワ」と「つよき」)、性別限定ではなかったが性別を限定するような単語が名称に入っていた「タフガイ」や「ねっけつかん」といった性格も名称が変更されました(それぞれ「タフネス」と「ねっけつ」)。その一方で、性別限定の装備品はそのままスタイル限定の装備品(ただし「みせる」コマンドのテキストはそのまま)となり、アッサラームのぱふぱふやバラモス討伐後の海賊のおかしらなど性別限定のイベントもそのままスタイル限定のイベントになりました。そして一番注目されていたといっても過言ではない「セクシーギャル」はスタイル限定の性格として「むっつりスケベ」ともに続投しました。ゲーム開始時のいわゆる性格診断での性別による分岐はそのままスタイルによる分岐になりました。
あまりに上辺だけかつ不徹底な対応に対して、ユーザーからは困惑から怒りまでネガティブな反応が多く見られます。この背景として、性別による括りをなくしていくのはスクエアエニックスの全社的なトップダウンの施策のようで、現場レベルでモチベーションが(おそらく)ないことがあります。またリメイクの方針として原作の雰囲気を残すことがあったということなので、ぱふぱふやあぶないみずぎに象徴されるちょっとえっちな要素は残したいでしょうし、これらをルックスAにも開放することは躊躇われたでしょう。「トップダウンによる要件を最小限満たしつつ、原作を極力そのまま残した」と考えると理解がしやすいように思います。性別限定の性格が「むっつりスベケ」と「セクシーギャル」だけ残されたのも、(勇者の初期性格としてシステムに深く組み込まれていたこともあるでしょうが)SFC版で導入されあまりの性能の良さからDQ3を象徴するキーワードにもなっている「セクシーギャル」を外すことはできなかったのだと思われます。
早坂
原作を尊重して、可能な限りそのまま再現するというコンセプトは変えていませんね。開発当初からずっと一貫しています。
このように妥協の産物とも言えるDQ3のポリコレ対応ですが、ルックスAであるかルックスBであるか即ち見た目によってのみ男扱いされるか女扱いされるかが変わるというのは、ポリティカルコレクトネスやダイバーシティへの強烈なメッセージとも解釈ができます。ストレートに抵抗のメッセージと受け取ることもできますし、現実的な話として男女の判断はまず見た目でなされるものなので、ダイバーシティへのコストを誰がどのように負担するにしてもベースラインはそこになります。避けては通れないものを断固として見せつける意義深いメッセージになっているように思います。
このような視点を持つと、逆に原作から踏襲されなかった性別分岐に興味深いものが出てきます。旅立ちの朝に勇者を起こす勇者の母のセリフです。FC版では男女共通で「勇敢な男の子として育てたつもり」となっていて、これはこれで意味深なのですが、SFC版では勇者の性別を女にした場合には「男の子のように」とセリフが変化するようになりました。今回のHD2Dリメイクでは逆に性別による分岐がなくなりました。

斜に構えれば、ゲーム開始直後の目立つ部分なのでダイバーシティ対応をしたと解釈でもできますが、現実的なところとしては音声が入るセリフとなったのでパターン分けをしたくなかったのだろうと思われます。これまた妥協の産物と言えそうなものですが、読み取ることができるメッセージはとても肯定的です。即ち「子を想う親に、息子も娘も関係ない」というメッセージです。ダイバーシティを積極的に肯定すると同時に、親子の絆へフォーカスすることによって保守の立場からも無碍にはできないものになっています。
ということで、ダイバーシティ対応の必要性を認めつつも、譲れないベースラインを堅持し、その上で保守派にも受け入れやすいナラティブを提示するという、令和の国民的RPGのリメイクとして奇跡のバランスが成立しているのではないかと思います。とてもすごいです。
作った人そこまで考えてないと思うよ。