
DQ3の戦闘システムの「不備」は本当に不備なのか
意外とそうではないかもしれない話をします。
そもそも「戦闘システムの『不備』」ってなに?
「不備」があると主張するNoteが伸びています。
主張をざっくりまとめると以下のようになります。
DQのダメージ計算は「攻撃力 - 守備力」をベースとするため、攻撃力に足切りラインが存在する。
その足切りラインをルカニなどの補助呪文で操作するゲーム性がDQである。
しかし今回のリメイクでは補助呪文で足切りラインが操作できず、装備の更新が頭打ちするとレベリングしかなくなってしまう。これは「不備」である。
このNoteでは「むしろその方が今回のDQ3で推奨される遊び方と馴染むのではないだろうか」という話をします。
ゼロベースで今回のダメージ計算を考える
予断、先入観などを排して今回のダメージ計算の特徴をみてみましょう。
モンスター毎に攻撃力の足切りラインが存在する。
足切りラインの突破には、装備の更新やレベル上昇などによるステータス上昇が必要であり、それ以外の手段はない。
こうしてみるとJRPGの原液のようなゲーム性があることがわかります。これが今回のDQ3にどう影響するのか考えていきます。ポイントは「フィールドのキラキラ」です。
フィールドのキラキラは旅の心得で積極的に探すことが推奨され、「フィールドのキラキラを探し歩く」ことは今回のDQ3の前提となる行動です。フィールドのキラキラからは、序盤はしょうもない消耗品ばかりですが、ゲームが進行するにつれて強力な装備品が見つかる場合も増えてきます。すると「フィールドのキラキラから強力な装備品が見つかると戦闘が急に楽になる」という現象が起きます。
また、ランダムエンカウントが採用されているため、フィールドのキラキラを探し歩く際にエンカウントを避けることが難しいです。しのびあしを使わなければ非常に多くの戦闘が発生します。すると「フィールドのキラキラを探し歩いていたらレベルがめちゃくちゃ上がっていた」という現象が起きます(筆者は船入手後にレベルが上がりすぎて、慌ててストーリーを進めました)。
つまりフィールドのキラキラを探し歩いていると嬉しいことがどんどん起こり、足切りラインを勝手に突破していくことになります。一方で、フィールドのキラキラを探さなかったり、回収はしつつも攻略情報を見て効率的に巡っていると、戦闘回数が減って獲得経験値が減り、足切りラインへ届きづらくなります。これを補助呪文で誤魔化すことができず、フィールドのキラキラを探し歩くことのみが解答になります。高難易度モードで獲得経験値が減るのも、この構造を踏まえると理に適っています。
このように考えていくと、「不備」と言ううっかりミスよりも、意図的に「抜け道を塞いでいる」印象が強くなってきます。
「不備」なのか「抜け道を塞いでいる」のか
話は少し変わりますが、強すぎると評判のまものつかいは意図的に強くしていることがインタビューで明らかにされています。
早坂 せっかくの新職業が弱かったらみんながっかりしちゃうようね、というところから、戦闘でも役立って“はぐれモンスター”も保護しやすいという、特色のある新職業になりました。
早坂
強いと思います。ストーリーを進めていくだけでもある程度の数のはぐれモンスターを保護できますが、もちろんそれだけではすべてを保護しきれません。なので、保護した数によって覚えられる特技は、がんばってはぐれモンスターを保護したプレイヤーへのごほうび的な強さにしています。
いわゆる北風と太陽でいう太陽のアプローチなのですが、まものつかいの強さは尋常ではなく、旅人が浴びる水も干上がりそうなカンカン照りの太陽です。推奨したいプレイへの太陽がこれだけ暑いのなら、推奨しないプレイへの北風でとんでもない暴風を吹かせていても不思議はありません。ダメージ計算が意図的に抜け道を塞いでいる可能性が高まってきます。
はぐれモンスターを集めることで解禁される特技が「ごほうび」として設定されているというのも重要な情報です。つまり、攻略を見て船入手直後に50体集めてビーストモードを解禁するのは正しくないプレイで、フィールドのキラキラと同様に自らの足で頑張って探し回ることが想定されています。攻略情報が瞬時にインターネットに出回る時代にあまりにナイーブな想定にも見えますが、フィールドのキラキラやひみつの場所の攻略情報は、インデックスを付けづらい情報が大量に並列するという難儀なものです。まとめる方も大変そうですし、見る方も大変です。情報化社会が行き着いた令和に、古の口コミ攻略を復活させようとするアプローチなのかもしれません。
プレイ体験として成功しているのかどうか
主観の要素も大きいですが、概ね成功していると考えています。
筆者の初回プレイでは、攻略情報は見ずにフィールドのキラキラを探し歩く模範的プレイを行いました。その結果、
序盤から探索を行うとレベルアップや装備更新で探索がやりやすくなる好循環が回り続ける。
船を入手して探索可能範囲が大幅に広がることで最高潮を迎える。
これではボスも楽勝だろうと慌ててストーリーを進めると、ステータス差が重くのしかかるダメージ計算に加えて、近代化された新ボスがとても強く、全く楽勝ではなかった。
旧ボスもボストロールが「攻撃力 - 守備力」で力強く殴ってきて、思った以上の苦戦。
ネクロゴンド以降は雑魚モンスターもステータスが上がってきて、片手間のブーメランなどでは太刀打ちできず、世界征服の首魁へ迫り、しっかりと鍛えないと通用しない世界に踏み込んだことを実感し気が引き締まる。
という具合にとても楽しみました。(ちなみに「ごほうび」はバラモス戦にギリギリ間に合うタイミングでの受け取りでした)。
同時にプレイしていた筆者の妻(DQ3初プレイ)も、フィールドのキラキラを探し歩くプレイで楽しんでいるようでしたので、素直にプレイすれば「不備」でもなんでもないように思われます。
クリア後のダンジョンを見ても同じことを言えるのか
今回用いられているダメージ計算の仕組みは、仕組みが簡単故に歪みを生みやすい代物です。エンディングまではその歪みの片鱗がちょうどクライマックスに向けての緊張感として作用しているのですが、エンディングのその先に進むと歪みの渦中へ投げ込まれます。Steamのレビューで批判的なコメントが多いのもクリア後ダンジョンのはちゃめちゃな戦闘バランスについてです。これを見て、なおもプレイ体験として成功していると言えるのかというのはもっともな疑問でしょう。
これに関しては「設計の意図はわかるが、クリア後のダンジョンまでたどり着くプレイヤーの欲求を満たす形にはなりづらい」という立場です。
クリア後のダンジョンは旅の心得の最後の項目として「挑戦してみてください」と放り出されるコンテンツです。「頑張って世界中を巡り歩きはぐれモンスターを集めた人にはごほうびがあります」という発想で調整されたゲームの「挑戦」が、エンディングからシームレスに攻略できるような生半可なものであるわけがないでしょう。伝統的なDQのクリア後のコンテンツはエンディングからシームレスに攻略できるものですが、そのような固定観念を捨て去ると理解は可能です。2つ目のクリア後のダンジョンでは、はぐれモンスターは100体、小さなメダルは105枚の収集が求められます。前述の通り攻略を見て収集することは想定されておらず、自力ないし口コミ情報で収集する設計になっているので、とてもロングスパンの収集になります。それを達成できるだけの経験を積んできた(経験値を集めてきた)ことが戦闘の前提になっていても不思議はないでしょう。
とは言えしかしながら実際問題として、エンディングまでならともかくクリア後のダンジョンまでしゃぶり尽くすようなプレイヤーは、体系的に収集整理された攻略情報を参照し、そこから何かしらの最適戦略を導き出し、誰にでも出来るかわりに面倒なレベリングには頼らずに攻略してやろうというガッツに溢れたプレイヤーばかりでしょう。そのようなプレイヤーの挑戦を受けるには甚だ不適切としか言いようがないエンドコンテンツです。嬉しい人が居ないコンテンツと評して過言はないでしょう。
それはDQなのか
今回のリメイクで推奨される遊び方に馴染むとして、それがDQ的であるかはまた別の問題として残ります。これについても考えていきます。
単刀直入に言えば間違いなくDQです。
というのも、DQおいて立ち塞がる強敵へ対抗する方法は、冒頭のNoteが主張するような「同じ戦力のまま戦い方を工夫する」ことではなく、「一度引き返して鍛え直す」ことであるとシステムから規定されています。
DQにおいてリスタート地点となるセーブ可能な場所は街の教会や城の王様ですが、一方でボスは人里離れたダンジョンの奥深くで待ち構えています。これでは試行錯誤しようにも試行が大変です。ボスに負けた際にも、(今回のリメイクでは即再戦も可能ですが)レベルや持ち物はそのままに最後にセーブした場所まで戻されます。非常に明白な「鍛え直してこい」というメッセージです。
他にもDQの生みの親として知られる堀井雄二は“『ドラゴンクエスト』は誰でも遊べるゲームであるべき”という持論を持っています。つまり、面倒ではあるけど誰にでも出来るレベリングで攻略できることがDQです。補助呪文を弄して鍛錬不足を誤魔化そうなどという姑息な攻略はDQ的ではありません。この立場に立てばむしろ「抜け道」を塞いでよりDQらしくなったとまで言えるでしょう。
「誰でも遊べる」かつ「ガッツ溢れるプレイヤーの欲求に応える」であれば一番良いのは確かですが、DQとしての満点は前者であり、後者は100点から120点を目指すオプショナルな領域にあるはずです。
まとめ
「戦闘システムの『不備』」はフィールドのキラキラを探すことへの暗黙の導線として意図的に設計されたものである可能性がある。
その導線に乗っかると、エンディングまではプレイ体験も良くなる。
クリア後のダンジョンは設計思想と実態の乖離が激しく、「戦闘システムの『不備』」がプレイ体験を悪化させている。
DQは「強敵に敗れたら鍛え直す」ゲームであり、「戦闘システムの『不備』」はこの哲学とも合致する。