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今だからこそドラゴンクエストを3→1→2の順でやる意味がある
そういう話をします。
はじめに
こんな記事を開くような方は当然ご存じでしょうが、ドラゴンクエストの1,2,3はストーリーとしての時系列は3→2→1の順番であり、先週発売されたHD2Dリメイクではこのストーリーとしての時系列の順番に発売されることになっています。
これに関しては発表当初から話題になり、賛否両論の議論を巻き起こしました。ナンバリングの順番通りにやるべきだと主張する人は多く、筆者の妻も父親からDQ1からやるように言われたそうです。ここNoteにおいても例外ではなく、発売順に苦言を呈す記事がたくさんのスキを集めています。
「公開順、発売順に視聴、プレイするのが正義」という思想には一定の理があります。例えばスターウォーズをエピソード1から見ると、エピソード4で突然出てきたNPCっぽい謎のおじさんが以降もずっと出てて「え、こいつそんな重要キャラなの!?」と混乱するようなことが起きます(ちなみに筆者は1から順に8まで見て、7がエンタメ的に一番面白く、8が一番好きです)。
しかし、「公開順、発売順に視聴、プレイするのが正義」という思想には決定的に欠けている視点があります。物語の受容には「時代性」という文脈が隠れています。
ドラゴンクエストの時代性
時代性から考えるドラゴンクエストの発売順の合理性
再びスターウォーズを例にとります。スターウォーズシリーズは製作開始の段階でエピソード1~9までのプロットが出来上がっていました。物語の時系列もその順番です。そこをあえてエピソード4から製作されたのは以下のように語られています。
まず1作目が商業的に成果を収めねばシリーズ化が望めず、その意味で一番「冒険活劇」としての完成度が高かった『新たなる希望』を最初に世に出すことが得策だと判断されたため
ドラゴンクエストにも時系列を入れ替えてDQ1から発売する理由がありました。当時の日本のゲームシーンはアーケードゲームが先頭を走り続けていました。ドラゴンクエストが発売されたご存じファミリーコンピューターは商業的に大成功を収めていましたが、その評価は「あのアーケードゲームが家でも遊べる」という要素が大きくありました。
アーケードゲームはその性質上ワンプレイが短いアクションゲームやシューティングゲームがメインストリームになります(もちろん例外はあり、1984年リリースのドルアーガの塔はRPGのアーケードゲームです)。そのためファミリーコンピューターのゲームもそれを引き継いでアクションゲームやシューティングゲームがメインストリームとなっています。つまり、ドラゴンクエストのようなRPGはファミリーコンピューターのユーザーには馴染みが薄いものだったのです。よってドラゴンクエストには丁寧な導入を施す必要がありました。ドラゴンクエスト1→2→3と順々にゲームシステムが複雑になっていきますし、ドラゴンクエストの前には「堀井ミステリー三部作」と括られるアドベンチャーゲームを3作ゲームシーンへ投入しています。ドラゴンクエスト1から発売されたことには、このような時代性が存在しています。
(PCゲームであれば当時から重厚なゲームは多くあったのですが、当時のPCは非常な高価なものであり、子供の手に届くようなものではありませんでした。ファミリーコンピューターの成功は、アーケードゲームの再現ができる高スペックと、子供の手に届く低価格を両立させるという困難な課題を解決したことが大きな要因です)
時代性から考える「伝説の勇者ロト」の正体
前節での議論はゲームシステムの話であり、「じゃあシステムの複雑になる順番と時系列が進む順番を合わせれば良かったのでは?」という話になります。これは一理あります。しかし、ドラゴンクエストの時系列は3→1→2で、ゲームシステムの複雑さは1→2→3と増えていくべきだったのです。
ファミリーコンピューターのドラゴンクエスト1の時点での「伝説の勇者ロト」とはなんだったのでしょうか。これは一般にはドラゴンクエスト3の発売によって、アリアハンの勇者であったことが分かったということになっています。しかしそれは時代性を考えると正確ではありません。
前節の括弧書きにある通り、PCゲームのシーンには既に重厚なゲームが多くありました。日本でも1983年の「信長の野望」などがあり、コンピューター先進国のアメリカでは言うまでもありません。
そんなアメリカで大成功を収めたPCにApple IIがあります。当然様々なゲームがApple IIで開発、販売されています。その中には、見下ろしビューのフィールドマップを持つRPGのウルティマ(1981年)や、バックグラウンドを持たないランダム生成のキャラクターに初期ポイントを割り振ってキャラメイクを行うRPGのウィザードリィ(1981年)があります。
この二つを見た上で、ドラゴンクエスト3をなんと表現すべきでしょうか。率直に言えば「ウルティマとウィザードリィのパクリ」でしょう。胸に手を当ててそうではないと言えるでしょうか。筆者にはちょっと難しいです。
そういうわけで、ファミリーコンピューターのドラゴンクエスト1の時点での「伝説の勇者ロト」とはウルティマとウィザードリィです。この伝説をドラゴンクエスト3によって自らのものにするというのが当時のロト三部作なのです。この構造があるからこそ、ドラゴンクエストの時系列は3→1→2で、ゲームシステムの複雑さは1→2→3と増えていくべきだったのです。
そして でんせつが はじまった!
ドラゴンクエスト3のEDはこの文章から始まります。この「でんせつ」とは、ゲームの中で言えば、ロトの勇者の伝説のことです。しかし、ここで始まった「でんせつ」はそれだけはありません。
発売延期をしつつもなんとか発売に漕ぎ付けたドラゴンクエスト3は日本中に熱狂を巻き起こします。日本中の子供が連日長蛇の列を作ってドラゴンクエスト3を買い求めました。学校を休んで買いに走る子供や、カツアゲと称される恐喝、小売店の抱き合わせ販売など、多くの問題も噴出し、まさに社会現象とはこのことでしょう(大作ソフトの発売日が土曜日に設定されるようになったのもこれがきっかけです)。
この熱は冷めきることはなく、現代まで続いています。ドラゴンクエスト3が日本のゲームシーンにもたらしたRPGは、日本独自の進化を続け、「JRPG」という一大ジャンルを打ち建てるに至りました。この「JRPG」という単語は揶揄の文脈で使われることもあり、浮き沈みは当然ありました。しかし、ドラゴンクエスト3の延期によって発売週被りを回避して生存したファイナルファンタジーと共に、日本のゲームシーンを牽引してきた事実は動かしようがありません。2000年のドラゴンクエスト7と2009年のドラゴンクエスト9が達成した国内販売総数400万本超えは現在でも上位30位に入るものですし、そのドラゴンクエスト9は搭載されたすれ違い通信が大きな反響を呼び、「まさゆきの地図」を象徴に再び社会現象を巻き起こしました。ドラゴンクエスト9が記録したすれ違い通信を行った人数の117,577,073人はギネスワールドレコードとして記録されています。スマホゲームにおいても、位置情報ゲームのドラゴンクエストウォークはセールスランキングの上位常連として大きな存在感を持っています。
「でんせつ」は今も続き、これらはすべてドラゴンクエスト3から始まりました。
2024年の「伝説の勇者ロト」の物語
時間は現代に戻りました。2024年の日本のゲームシーンにおいて、RPGはありふれた定番のジャンルです。今一度ドラゴンクエスト1からじっくり導入していく必要はなく、ドラゴンクエスト3からやっても何の問題もありません。しかしこれはドラゴンクエスト3からやっても良いというだけで、ドラゴンクエスト3からやるべきという話にはなりません。何か別にドラゴンクエスト3からやる理由が必要です。ここまで読んでくれた人には、その理由がもうお判りでしょう。
2024年の日本においてありふれた定番ジャンルとなったRPGが「日本においてありふれた定番ジャンルとなった」瞬間、すなわち『でんせつが はじまった』瞬間を追体験しに行くのがHD2Dリメイクのドラゴンクエスト3です。
2024年の「伝説の勇者ロト」の物語はここから始まります。