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日記_28

父方のばあちゃんが亡くなった。

子供の頃から年1回会えばいい方で、関係性が深かったかというと謎である。長寿の家系らしく97歳の大往生。亡くなる時は息子と娘に見守られながら眠るように逝ったそうだ。

来週の帰省でお見舞いに行く予定だった。あるはずだった予定が存在しなくなるのは不思議な気持ち。
前回会った時にご先祖様の写真を見せてもらったから、今回は家系図の話をしようと思っていた。会いたい人に今会っておくべきだ、というのは本当のことなんだなあとぼんやり考えている。
関係性が薄かったとはいえ、ここまで感情が動かないのは薄情なことだろうか。私は両親が亡くなった時でさえ泣かないんじゃないか、と考えることがある。

我が家は父親が単身赴任の期間が長く、子供のころ家族の最小単位は母・私・弟の3人だと思っていた。転居が多かったこともあり、ベタベタに仲が良い家族というよりは危機を乗り越えるためのチーム(そして姉弟が幼い頃はそれを母が一手に引き受けていた)という意味合いが強かった気がする。だからなのか、結婚するまでは「家族は何よりも優先・近くにいるべきもの」という思い込みが強かった。

彼氏とのデートを「今日は家族で肉を食べるから」と断っていたことは今でも母親に笑われるが、めちゃくちゃその肉が食べたかったというと、そうでもない。多分家族を見捨てたと思われる(思っていないのだけど)のが嫌だったんだ。私は親離れが遅かった方だと思う。

家族の現在はというと、父は福岡、母は東京、弟は千葉、私は神奈川とてんでバラバラの場所に住んでいるし、私に至っては年に1回顔を合わすかどうかだ。連絡もLINEで業務連絡ぐらい。子供の頃持っていた家族感とは全然違うけど、私はこの距離感を悪くないと思っている。

ばあちゃんの家は、九州の古い家族観が強かった。
もしかしたらうちはみんな個人で生きていきたい人間の集まりだったのかもしれない。父は定年後に起業、子供たちはフリーランス、母親も現役で働いている。絶対一緒にいる!という強制感の中ではなく、必要な時に会うゆるやかな関係性を求めていたのではないか。いや、私がそう思いたいだけなのかしら。

もし今それぞれがそれぞれの生きたい生き方ができているのなら、ここからうちは新しい家族関係を作っていくのかもしれない。ばあちゃんも、本当は生きたい生き方があったのかな。環境や常識が苦しくはなかったかな。

今後は本家をどうするかとか、土地をどうするか、みたいな話がどんどん出てくるだろう。持ち主がいなくなったのだから。父親はあまり期待していないみたいだけど、私は本家を引き継いでも良いな、と思っている。

長く続いていたものを受け取ることに興味もあるし、土地が支えてくれる場所で、先祖が住み続けた場所で、私も生きてみたい。合うかどうかはわからないけれど。

帰省したらばあちゃんの遺品を見てこよう。話しておけばよかったな、と思う共通項が見つかるかもしれないから。来週はどうやら珍しく家族4人が集合するらしい。



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