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日記_197

講義に参加するたび私は資本主義とずいぶん遠いところで生きてきたんだなあ、と思う。
好んで脱線しながら働く自分と、逆算で成果を出していく人たち。どちらが良いということはないけれど、真逆の環境で働いている人の方が私の盲点がよく見えそう。

昨日のワークの相方はこれまで周りにいなかった職種の人ですごくドキドキした。自分の至らない部分を指摘される(フィードバックは大好きなのに)怖さがあったんだと思う。この怖さはずっと私が回避してきたもの。

誰がみても明らかな権威性があり、一般社会で成果を出している、弁の立つ男性がずっと怖かった。きっと「そうなれなかった自分」と比較した劣等感が元になっていたんだと思う。劣等感が嫌悪感に変わり、必要以上に敏感になっていたんじゃなかろうか。

ただいつも通りふわふわと話す私の話から矛盾しているところや話が変わっているところを漏れなく拾っていく様子を見て純粋に尊敬した。同じことを頑張っている人、というレイヤーで見ると、劣等感や恐怖が薄れる。これがLeast Upper Boundやろか。

「問題をふわっとしたまま置いておいて足が止まる」という課題は、自分で解決できる問題と、多数の人が関わる複雑な問題を混同していることが原因だと分かった。多分似たような思考回路の持ち主ならそういうもんだよ、で終わっていたと思うから、バッサリ指摘してもらえてありがたい。

わかりにくいものを扱う人たちをクライアントとし、違う思考回路を持つ仲間と切磋琢磨し、適度に泳がせながら時に激しく背中を押してくれるコーチがいると良いのかも。私は童心で働く人を増やしたい。

ああ、また日曜日が終わってしまう。
もう少し考え事をする時間を捻出しないと。

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