テレビとよさこいと重さ

3年ぶりのよさこいが終わった。ボリュームはかなりダウンしたとはいえよさこいはよさこいである。テレビ各局も例年通りの番組を放送していた。で、感想も例年通りで実に面白くない。まあ生の臨場感に比べたら仕方ないのかもしれないが、それだけでもないだろうと理由を考えてみた。


そこで思ったのが2つ。一つは踊りの最中に喋るMCの存在。音楽に乗せて踊る祭りなのに喋りのせいで音楽が聞こえないことが多い。楽曲はよさこいのチームにしたらベースになる大事なパートであるのは明白なのだからそこに余計な物を入れることによって魅力や臨場感を失っているのではないだろうか?

もうひとつはクレーンカメラの存在。画作りに非常に有効なのはわかるがクレーンショットはどうしても1カットが長くなりスイッチングのテンポが悪くなる。俯瞰で見るメリットとして隊列美という物があるがあまりクレーンショットでなければならない意味が感じられない。あくまで味付けとしてのクレーンショットがメインディッシュになってしまい、実際に会場で見るかのような臨場感が失われてしまった映像が多くなる。俯瞰映像はテレビで観覧するメリットなのかもしれないが余りの多用は考えものではないだろうか?

上記2つも考えてみればテレビ側の理屈で行っている所謂「もたせるため」のものであり現地で実際に見る場合は必要のないものである。チーム情報は喋らなくても記事化し検索すればわかるようにすればいいだけである。

プレーンな状態で楽しめるものにわざわざ余計な味付けをするのももったいない話で余計なものをどうすれば効果的な物に変えられるのかを真剣に考えなくてはいけないなと思った次第。

ただ今やダンスコンテストと化したよさこいに臨場感等が必要なのかという考え方もあるとは思う。とにかく今のよさこいは「重い」のである。絆とか感動とか涙とか、よさこいはそんなことを求める祭りだったのか?しかしテレビで見る特集は苦難を乗り越え踊ることへの喜びを感じ感動へ導くようなものばかりである。この空気を作り出した責任の一端は確実にテレビ局にもある。このまま重くなると確実によさこいは市民からそっぽを向かれ一部の人のものだけになるだろう。いや、もう既に好きな人だけのお祭りになってしまってると思う。このままでいいのか?祭りの方向性も分岐点が近づいている。

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