研究授業のあり方について考える
全国どこの学校でも似たような形だとは思いますが、まず始めに校内で研究するテーマを決めます。その後研究授業をし、冊子にまとめるという形が一般的だと思います。そこに輪番で市や県の研究発表が当たる学校もあります。これが果たして教員の力になっているのでしょうか。
研究テーマの課題設定に何時間も先生同士で検討します。決めたのはいいものの、その後は、課題を何にしたのか覚えている先生はいません。「自己肯定感が高まれば、主体的に児童は活動するだろう」「資質能力が~」など、よく分からない仮説がとても多いなと感じます。
研究授業は自分のやりたい授業をするのではなく、校内での研究に沿って行わなくてはいけません。そこに指導者の助言が入れば、そこに従わないといけない部分もあります。
私もこれまで研究授業を何度もしてきましたが、自分がやりたい、挑戦したい授業ではないのだとやるたびに感じました。10ページ以上ある誰も読まない指導案作成に何時間もかける必要があるのでしょうか。
研究授業の後の協議でも「授業のあり方」や「子どもたちのつぶやきや発言、どう考えていたのか」などを検討するのではなく、課題にそって話し合うことがとても多いです。
例えば「ICT活用はどうだったか」「あの発問は適切だったか」など視点が決まっているので、授業や子どもの姿について話し合う場がないのです。
皆が忙しい時期に引き受けてくださった授業者に厳しい言葉がけができない現状もあります。授業者も大体若手が引き受けることが多いです。授業をしない先生にとってはある意味、他人事であり負担も大きく違います。
また、指導者の方も授業について指導するのではなく、あらかじめ作ってあったパワポでひたすら説明をすることが多いです。誰でも説明できるようなもので、授業を見ても、見なくても話せる内容だと感じることがあります。
一番の問題点は研究授業でやった内容を来年度はやらないことが多いのです。「この単元にそこまで時間かけないよね」「ここまで掲示物つくらないよね」「学級会はそこまで丁寧にやらないよね」「体育は、掲示物は普段作らないよね」など、研究授業のために用意した物がほとんどなので、来年度には全くいかされません。これではやる意味があるのでしょうか。
そもそも、校内研究をする時間も取れないのが現状です。教員の学ぶべき場になっていないのであれば、やる必要性を感じません。
私は「目の前にいる子どもの姿をどうとらえるか」という研修の方がよっぽど大事だと思います。「クラスで問題行動ばかりを起こす子」「学校に来られない子」「宿題をいつも忘れてくる子」こういった子たちをどういう視点で先生達が語り合うのかがすごく大切な事だと思います。「指導して早めにつぶせばいい」など言う先生も言いますが、そうではなくて先生達自身がその子達の困り感について話合う場がもっと欲しいです。担任の先生がクラスで困っている子についてA4一枚で書き、それについてみんなで話し合う、それは生徒指導のようなものではなく「その子の願いは何なのか」という視点で話し合える場が現場には必要なのだと思います。