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名前なき存在も 言葉をもてば強くなる


「私ね、手術したら大変なことになるよ」

娘が私に訴えてきた。

「麻酔かけるやつ。100から7ずつ引いて数えてください~って」

ああ、全身麻酔かけるときに、数を言わせて眠らせるってやつね。

「100。・・・93。・・・」

彼女が指折り数え始め、ひとつめで固まる。

「・・・だめ。次がでてこないもん。すぐ切られたら痛い」

あぁ。計算できないから黙ってるのに麻酔が効いたと間違えられてメスを入れられたら痛いじゃないかと。いやそんな手術はないやろ。
まあ、繰り下がり、苦手やもんな。

「なんで7なん。5飛びならできるのに」

ほなやってみ。と促すと、もう一度指を折り始めた。

「100。95。90。・・・」

今度は順調だ。

「・・・95」

あかんやん、増えてもたやん。


彼女は17歳。高校2年に相当する学年だ。だが、数という概念が受け入れられない。数だけでない。数と数の関係性を明らかにする論理も、彼女の世界には定着しなかった。

小学校から早々と脱落し、教師からも級友からも落ちこぼれ認定されていた。彼女自身、頭が悪いのだ、理解が足りないのだと思っていた。面白くないから覚えられず、ほかの科目も次々とだめになった。

実際、なぜなのか端で見ていても不思議なくらいだから、どうやったら覚えられるのかというアドバイスは余計に彼女を混乱させる。そんなときに私が言えるのは、わからない自分を否定するなということだけだった。苦痛だったら無理にわかろうとしなくていい。住む世界が違うんだよたぶん。

そのほかにもいろいろあって、彼女は中学の大半を通学せず、3年からはフリースクールに通い、高校は単位制に進学した。そこで少しずつ、自分のペースでものごとを理解する「学び」の姿勢に出会った。


★★

高校の授業で改めて数学に向き合い、復習として一次方程式の問題が出た。相変わらず「わからん!」を連発していたが、とりあえずどこがわからないのかを考えてみようと促した。

彼女は言った。

「だって〈x=Y〉とか〈x=4〉とか、意味わからん。xがYになったり4になったり。xはxで、Yや4とはぜんぜん違う。同じってどゆこと?」

どうやら彼女の中では、すべての文字、すべての記号がそれぞれそのままの状態で目に映っているのだ。xが任意の変数であり、別のものを言い換えた仮の姿であることがイメージできないらしい。

これは、ちょっとした驚きだった。


それから彼女の「わからない」をよくよく観察してみると、数学だけでなく概念を抽象化して理解することが少なく、ものごとの関係性を見いださないことがわかってきた。

すべてばらばらで、ひとつひとつ別のものに見える。これはなんとも疲れるのではないかと思って聞いてみたら、やはりそうだという。

「全部まぶしくて、うるさくて、しんどい」

光や音まで粒になっているのだろうか。ここまできたら想像の範囲も超えてしまうが、大量のデータを毎回リロードし直していたらそりゃCPUもダウンするわなとぶつぶつ言ったら、余計に何の話なんだと混乱させてしまった。すまない、たとえ話が通じなかったよね。


数年前、音や光に敏感だということがわかってノイズキャンセリングのヘッドホンやらサングラスやらで防御するようになっていたのだが、情報量の多さを訴えていたのだと今さらながらわかってきた。

集中できる時間が短いのも、1日に複数の予定を入れると混乱してしまうのも、1日おきに家で休む日を入れないと疲れてしまうのも、おそらくこの情報のリロード問題のせいなのだろう。

情報が多いといえば、おもしろい発見もあった。
彼女には若干の共感覚に近いものもあるようで、歌声を聞くと色が出てくるそうだ。面白いから絵に描いてみてくれと頼んだが、見えている色を再現できるインクがないらしい。残念。
でも良いことばかりではないようで、うまくハモっていない歌声だと色まで汚く混じるから苦痛が倍増するそうだ。

★★★

彼女には毎日なにかしら驚かされる。
同じ言語の上、同じような文脈で話していても、受け止め方や了解の程度はまったく異なるものなのだという、あたりまえだが忘れがちなことを、毎回思い出させてくれる。

私が驚くと、彼女も驚く。

「みんな、こんなふうに見えてると思ってたから」

彼女は彼女で、他の世界の見え方を知らないから、今まであたりまえの景色だと思っていたわけだ。そりゃそうだろう。誰もが自分の目線でしか価値を知らないのだから。


ここ2年ほどの間に少しずつ彼女のふるまいの意味があきらかになり、彼女は彼女で自分の世界を客観視するようになっている。

特に今は、かなり世界のカタチが変わって見えるようになったのではないかと思う。人との接触が限定され、家族が分散する生活になり、私はほとんど家から出ない仕事スタイルになった。彼女と二人で行動を共にし、対話する時間が飛躍的に増えた。

言葉は、概念の輪郭をつくる。これまで意識しなかったことが意味をもつようになり、俯瞰したり連想したり、関係を考えるようになる。

彼女は、少しずつ、少しずつ、自分のこれまでの状態を言葉にのせて表現できるようになってきた。毎回すべてがばらばらの粒子になってしまうため、毎回同じような対話から始まるのだが、それでも少しずつ前に進んでいる。

中学までの封印した記憶も、少しずつ取り戻して自分の言葉で思い出し、話ができるようになってきている。


言葉の力、これほどとは。


彼女は、診断されたら名前がつくのかもしれないし、つかないのかもしれない。でも名前で定義されたとしてそれが何になる。彼女にはすべてがばらばらの粒になってしまうのだから、診断名がついたとて、落ち着いた居場所になるわけではないだろう。

それより、ひとつひとつの粒について、言葉の光をあてて自分なりに理解していけるようになるほうが、ずっと生きるチカラになるはずだ。

たとえ逐一情報をリロードするしんどさはあったとしても、言葉で表すことができる世界は広がっているほうがいい。

先行きの見えない社会の中で、不確実な状況に不安を覚えているのはみな同じだ。見えているものの定義に悩み、関係性に怯えているのは彼女だけではない。そのなかで一歩先を探る白杖のように言葉を味方につけていけるようになってほしい。


いま彼女が興味あるのは倫理の世界だ。
論理思考が要求される領域とはまあなんともチャレンジングなと思ったが、興味をもっていればそれなりに寄り添うこともできるだろうし、彼女の世界もまた広がっていくだろう。

明くる年も、いろいろな発見に驚き、喜べるようになっていたい。

名付けられない不安の中で情報量の多さに圧倒されながらでも、言葉を獲得する喜びの中で、少しずつ、少しずつ、強くなっていきたい。





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