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冬の空も、青くなる


ぽつぽつとしたみぞれは、みるみるうちに雪になった。

黒いパーカーに白く冷たい粒が張り付く。
眼鏡にも、マスクにも。

構わず歩き続けた。
今日はこんな天気が似合っている。


今日は、私がたいせつにしている友人の、いちばん苦しさが募る日だ。

彼女のたいせつな息子さんが、
自らの意志でこの世と別れてしまった日。


2年前のこの日、イベント会場の下見で彼女といっしょだった。
携帯電話が鳴って彼女が席を外し、なにやら揉めているのかと思った途端、この世のものと思えない嘆きの音が響きわたった。

廊下に飛び出したら彼女が座り込んでいた。
彼女を2人の仲間と支えながら、タクシーで家に向かった。


何もできなかった。家族でないから家には上がり込めない。
ひたすら待った。

ひととおり終わったのだろう、彼女が目の前に現れた。
かける言葉がみつからなかった。

ただ、ただ、背中をさすって腕をさすって、
それしかできなかった。

言葉は無力だ。
痛みで胸が潰れそうだった。悔しかった。


◇◇

冷たい雪は、教会に着くころには止んでいた。

ドアを開け、礼拝堂に入る。
吹き抜けの会堂は天窓から白く明るい光が差し込んでいる。

ピアノでCの音をとった。


コロナ禍で、電車を乗り継いで行かねばならない彼女と会うのは難しい。
いまの私ができることで思いついたのが、祈ることだった。

ぴったりの言葉が浮かんでこなかったから、
賛美歌の489番をうたった。


きよき岸辺に やがて着きて
天つ御国に ついに昇らん
その日数えて 玉の御門に
友も親族(うから)も われを待つらん
やがて会いなん
愛(め)でにし者と やがて会いなん
  (賛美歌489「きよき岸辺に」1節)


私が彼女と知り合ったのはそれほど昔ではない。
思い起こせる記憶も、多くはない。

その子と会ったのは一度だけだ。
少年と青年とのあいだくらい、繊細なゆらぎを身にまとっていた。

アーモンドのような見開いた眼が、彼女とよく似ていた。
吸い込まれるようだった。


愛の光りの 消えぬ里に
絶えし縁(えにし)を またも繋がん
消えし星影 ここに輝き
失せし望みは ここに得られん
やがて会いなん
愛でにし者と やがて会いなん
  (賛美歌489「きよき岸辺に」2節)


誰もいない礼拝堂は、声がよく響いた。

白くて、明るくて、静かだった。


親はわが子に 友は友に
妹背(いもせ)あい会う 父の御許
雲はあとなく 霧は消えはて
同じ御姿 共に写さん
やがて会いなん
愛でにし者と やがて会いなん
  (賛美歌489「きよき岸辺に」3節)


喉が詰まって、うまく歌えなくなった。


少し心が漂ってしまったので、ピアノの椅子に腰掛けて
黙って天窓を見上げた。

明るくて、白い光だった。

祈りの言葉は相変わらず見つからなくて、
言葉って無力だよなあと、やっぱり思ってしまった。


歌、届くといいなぁ。


自己満足でしかないのかもしれないけど、
同じ時間に、同じ人を想っていたい。

ぼんやりと、そんなことを思った。


しばらくしてから、もう一度489番を歌った。

今度も、詰まりつまりになったけど、最後まで歌った。


やがて会いなん
愛でにし者と やがて会いなん


唐突に、言葉が湧いた。


どうか、彼女が生き続ける力を、与えられますように。


◇◇◇

礼拝堂を出ると、空は晴れて日光が降り注いでいた。

淡く、透き通るような青い空だった。

雪を降らせた雲はうっすらとねずみ色を残し、青い空の下をゆったりと流れていた。


空の青は、波長の短い青の光がいちばん長く散乱して残るからだ
と聞いたことがある。

あの子の記憶も青の光のように、残り続けてほしい。

地球の上に今なお残された人のもとに、長く届いてほしい。


冬至からひと月ちかくたった冬の日ざしは、
すでに春めく予感を漂わせる暖かさがある。

じんわりと、体の芯がほぐされていく。


彼女はその地で、この暖かさを感じ取っているだろうか。
この青い光が、届いているだろうか。



私には、彼女の苦しさを同じように感じることはできない。

子を失ったことのない母に
「その気持ち、わかるよ」と声をかける資格は、ない。

でも。

同じではなくとも、その辛さと向き合おうとする人に寄り添い、その気持ちをわかろうとすることはできる。


共感はできなくても、響感はできる。


同じ青い光の下で、いつか顔をみることができるその日まで、

ずっと覚えて、響かせていよう。



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