「優しい人」でいるのは、ちょっとやめました。
「優しいね」って、基本的には褒め言葉としてみんな使っていると思うし、
私も「優しいね」って言われたら「ありがとう」って返す。
褒めてもらっていると感じるから。
でもなんだか最近「優しいね」って言われることに窮屈さを感じる場面があって、なんでかなって考えてみた。
*
「優しい」というのは、裏を返せば
・臆病
・事なかれ主義
・都合よく使われる
なんていうネガティブなワードにもつながるんだと思う、きっと。
少なくとも私はどれにも当てはまっている。
上2つは、自分的には受け入れているところだから一旦置いておいて、
最近私が窮屈さを感じたのは「私、都合よく使われているんじゃないかな」って感じたから。
「優しいね(だからこれくらい許してくれるでしょ)」
って、言外の意味が聞き取れるように感じてしまうことが増えたから。
*
思い返せば確かに私は、嫌だなぁ、やめてほしいなぁ、と思うことがあっても
「いいよ〜わかった〜」と言って流したり、受け入れてしまうことばかりだった。
そこで「いや、本当はこうしてほしいの」と言うのは
正直面倒だし、エネルギーを使うし、人に意見をするのはなんだか得意ではなくて。
でもそれが結局「優しいね(だからこれくらい許してくれるでしょ)」に帰結してしまうのだ。
あれ、結構これしんどいな、私にだったら何してもいいって思われてるんじゃ、、と気づいて、
いかんいかん、それじゃ自分が苦しくなるぞ、と気づいた私。
もちろん相手によるけれど。
だから、優しい人でいるのは、ちょっとやめました。
基本的にはやっぱり優しい人でいたいから、ちょっと、だけ、ね。
写真:韓国のカフェ。弘大(ホンデ)の泊まっていたところから徒歩圏内の。ゆったりと朝ごはんを食べました。