Twitter×フェミニズム発信を見直した話
先日、先輩からある指摘を受けた。最近の私のツイートがきつい言葉や過激な言葉尻が増えたと。これは、フェミニズム関連のツイートをする時だ。
「今後、あなたは誰かを大きく傷つけてしまうかもしれない」ともおっしゃっていた。
フェミニズムを学んだきっかけは、自分の弱さを受け入れて、周りの人をもっと大切に出来る人になりたいと思っていたからだったのに。
でも、学べば学ぶほど、世の中の不均衡さに気付いて怒りが湧いてくる。フェミニズムは、男性VS女性といった単純な構図で構成されるものではないのだけど、どうしても不利な立場にいるように思えてしまっていた。そもそも、自分の弱さと向き合うきっかけになったのは、大学時代の元カレのモラハラだったから(もっとも、彼から受けた一連の精神的ダメージがモラハラだったと気付いたのは、大学を卒業してからだけど。)いつの間にか「男性嫌悪(ミサンドリー)」の考え方を育てていた気がする。
そして「〜だろ」、「〜みたいな」、「〜なのか?」などの文句に捉えられる言葉や反論をベースにした言葉が多くなっていた。その言葉が誹謗中傷、偏見・差別的なものではなくても、「いつも怒っている人」のように見えていたそうだ(これは、私の友人から聞いた)。
原因としては、2つある。(と、私は思っている)
1つ目は、1つのことに思考が囚われやすいこと。1つのことを深く掘るのは、自分の思考法なんだと思っている。
2つ目は、無意識で誰かをコントロールしようとしてしまうところがあること。
先輩に指摘していただいた「語調の強い言葉」は、疑問形をよく使うことだった。疑問形は、質問する意図で使うだけでなく、何かを強く主張するときにも使うことが出来る。私は、対面の会話でもよく使っているとおっしゃっていた。
疑問形を使ってしまうのは、癖ではあるんだけど、元は「1つの考えに囚われてしまいやすい」自分の思考方法に起因しているとは思う。
私が疑問形を使って発言するときは、他の意見があると分かってないわけではなく、分かっているけど主張を通したいときに使っている気がする。(もちろん、ただ質問しているだけのときもあるが)でも、それは強く叱責されている印象が残るし、誰かを傷つけてしまうこともある。
もしかしたら、反論されるのが怖いのかもしれない。自分も人をコントロールしようしてしまう時があるというのは、前々から気付いていたけれど、こうした小さな言葉尻にも出てしまうのだなと思った。
なら、この2つをどうしたら改善できるか。
まず、素直に自分と違う考えを持っている人の意見を知り続けること、次に、周囲を愛しながら伝える方法を考え続けることだと思う。後者は、なかなか時間がかかると思うけど、継続していきたいと思ってる。
話は変わるが、先輩の指摘を受けて、昨年レペゼン地球が「でっち上げセクハラ」で炎上していたときのことを思い出した。当時は、フェミニズムについて勉強不足で「確かに趣味は悪いけど、なぜそこまで叩かれているんだろう?実際の被害者がいないのに」と思っていた。むしろ、誰かを叩いているのを見るのは疲れるなと批判している人たちに辟易していた。
でも違った。でっち上げセクハラによる被害者が実際にいなくても、世の中にはこれまで「セクハラ被害に遭った人」が数多くいて、今もその記憶に悩まされていたりする。もしかしたら、同じ被害を目の当たりにした時、フラッシュバック(強いトラウマ体験を後になって鮮明に思い出すこと)を引き起こす人もいるかもしれない。そんな根深い問題をネタに利用したことが問題だったのだ。にも関わらず、「何が悪いかわからない。誰も被害に遭っていないのに」と言ってしまうことは、セカンドレイプ(セクハラやレイプ被害を受けた人が周囲からの心無い言葉で傷付き、二次被害を受けること)に当たる場合もある。
過去の私のように、「フェミニズム」を勉強しないと気が付けないことや当事者の立場に立たないと分からないことはたくさんある。それなのに、「何で、差別があるのに知らないんだ」とか「女性差別についてどう思ってるんだ」と責めたり、怒ったりするのは間違っていたなと思った。(自分が気付いた差別一つ一つを叱責することも含めて)それでは、男女間の分断を生んでしまうだけだ。
だからこそ、相手を知り、愛を持って伝えることができたらと思う。
フェミニズムを学ぶことで、弱い立場の人を救い、強い立場の人は縛られているものから解放されると思っているので、本来は愛のある考え方なのだ。
フェミニズムのイメージを悪くしないためにも、自分の改善点を見直し、発信を続けていきたいと思う。
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