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あいの子ジョージ

いまはハーフということが多いですが、戦後、その町では、あいの子とよんでました。
ジョージもあいの子でした。

ジョージは、ハーフというよりは黒人の印象が強い子で、目がくりくりしていました。
ジョージは漢字表記の名前があり、譲二と書くのかもしれません。

ジョージは日本人の母親と黒人兵との間に生まれた子でした。黒人兵は母子二人を日本に残して帰還してしまい、母親がジョージを育てていましたが、その母親も失踪してしまいました。

母親がいなくなったジョージは近所の家を泊まり歩いていましたが、ある日、アメリカの宗教団体のシスターが町にやってきて施設に連れていってしまいました。

そのジョージは町にひょっこりと戻ってきては、近くの家に泊まり歩いてました。あっちの家に一泊、こっちの家に一泊といった具合です。近所の家も「よくきたね」と歓迎するのですが、連泊はしなかったといいます。戦時中の隣組の因習が残っていたのかもしれません。

ジョージは数日間、近所を泊まり歩くと、シスターが迎えに来て、施設に連れ戻されます。その日は、黒衣の二人のシスターがやってきました。一人は老婦人、もう一人は若い人でした。ジョージはシスターに手を引かれ「バイバイ」といって帰っていきました。

そのジョージが死んだ。
大型のトラックにひかれて死んだのをあとで知りました。
ジョージがいた施設は大磯にあり、ジョージはバスを乗り継いで、この町までやってきたのです。しかも、死んだ状況からバス後部のバンパーにしがみついて乗ってたらしい。一種のシンナー中毒だったのかもしれません。

ジョージは近くに住んでいた子でしたが、その町にはあいの子が多くいました。

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