江戸の時代からあった遊郭
その町は、連合軍のマッカーサー司令官が降り立った飛行場から少し離れたところにありました。
飛行場の名前と同じ町の名なので、この町に飛行場があると勘違いしている人がいますが、この町には軍関係の施設はありません。
軍関係の施設がないにもかかわらず、多くの進駐軍の兵士が訪れたのは、遊郭があったからです。この町にやってくる米兵の目的はそこにありました。
近くには空軍の基地や司令部のキャンプ、補給廠、少し離れていますが海軍の基地もあり、海軍の兵隊はYナンバーの軍用車両でやってきました。兵隊さんの目的は、川べりにある遊郭の上がるか、その付近の怪しげな小屋に入り、目的を果たします。
近くには阿夫利山という信仰の山がありました。阿夫利山は地元では大山とよんでました。遊郭は江戸のむかしからあり、江戸の町々から大勢の大山詣での男性が来訪し、参拝ついでに遊郭に立ち寄った、と伝わります。そんな伝統のある町で、米兵もその辺の知識を仕入れていたのだと思います。
明治維新以降も遊郭あり、戦争前もあったそうですが、芸者が増えたのは戦後になって需要が高まってからだといわれてます。
こんな話も #きおくをつなごう になるのでしょうか?