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芭蕉が旅に出た理由

 江戸に出てきた芭蕉は、二、三年で俳諧師としてのある程度の地位を得る。三十四、五歳の頃には門人も増えて新進の俳諧宗匠として活躍し、三十五、六歳の頃、江戸で出版された主な俳書には全て芭蕉の作品が載せられている。俳諧宗匠というのは今でいう芸能人のようなもので、この頃の芭蕉はにぎやかな江戸に住み、はなやかな生活をしていたのだろう。

 芭蕉が立派な人物だと思うのはこの後、小市民としての幸福を捨てたところにある。士・農・工・商のどれにも当てはまらない「遊民」に嫌気がさしたのだと思われる。実際の割合はデータを見ないと分からないが、今の時代の仕事を見ると「遊民」の職業につく人が多すぎるのではないかと感じる。そういう職業も大事だが、職業の種類や収入額よりも「金銭や時間に余裕のある人の相手をして笑うのに嫌気がさした」という自分の心を大事にできることはすごいことである。それは、安心する生活を望む自分と戦うことでもある。

 三十七、八歳あたりで通俗的世界を捨てることを選択し、貧しい生活を送ることになった芭蕉にはもちろん不安があっただろう。それは作品の内容にも表れているし、この頃禅の修行をしていることからもわかる。そしてこの貧しい時期に中国の古典を読み耽り、自分の理想を描いて励ましていたと考えられる。

 宗匠になる夢を達成した芭蕉は、少しずつ通俗的世界に反抗していく。その方法は秩序を破壊して組み立て直す政治的革命によってではなく、富や権力などの世界とは別の価値が通用する世界を信じ創り出す芸術的革命によって。

参考文献
・井本農一『芭蕉入門』講談社学術文庫、2001年。40-56頁。

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