引用日記㉙

全学連委員長になって上京して以来、唐牛が飢えから解放されたことは一度もなかったといってよいだろう。この方面の問題について、ブントの連中は酷薄なまでに相互扶助の精神を嫌った。みんな自分のことで精いっぱいだったともいえるし、相互の自立を重んじたともいえるが、もっとざっくりいえば、自分のことしか考えぬエゴイストが大半だったということである。さらには、かつての同志が社会の階梯から滑り落ちていくのをみることに、いわば自己安堵の快感を感じるものもかなりいたというのが私の判断である。唐牛なんかと付合っていてもろくなことはないぞ、という忠告をわたしは何度もきかされた。

西部邁『六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー』(文藝春秋、1986)

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