引用日記㉚
ただ、ひとつだけ気になることが残る。私には両親と兄妹がそろっていた。帰ろうと思えば帰れる家族の小宇宙というものがあったのである。唐牛にないものが私にはあった。実際には、家族がなにか計量しうる効力を発揮するのは、貨幣とか権力によってであり、私の家族はそういうものとは無縁である。しかし、家族があるという感覚それ自体が、人生のぎりぎりの地点で効力を発揮するのだと私は思う。孤独の深さや大きさが画然と異なってくるのである。呑気に惰眠をむさぼることができる場所があるかどうかが決定的な作用を及ぼすような人生の局面というのもあるのである。
西部邁『六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー』(文藝春秋、1986)
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