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地元三重でDJをやってきた経験とならではの良さを再認識。

Y.K.Beatsです。
今回は、地元でDJとして経験してきた経験とそこから得たものについて。

DJへの入り口

僕は三重県のけっこう人口の少ない地域で20年間、DJ・ビートメイカーとして音楽活動してきました。

中学3年生でマイケルジャクソン・MCハマーといった洋楽に興味を持ち、友人に勧めてもらったfu-schnickensを聴いてヒップホップにハマりました。

その後、高校1年でDJ機材を購入し、ひたすら練習の日々。

DJやるなら大阪でしょ!って感じで、17歳で一度大阪で一人暮らしを始めて、19歳で再び三重県に戻りました。

三重県に戻ってきたキッカケ

僕の両親は居酒屋の経営者だったんですが、若いころはディスコが好きでチョクチョク行って遊んでたそうです。

そんな両親が、新たに居酒屋の2階フロアでラウンジのようなお酒を飲むお店を出すことに。

そして、そこには僕がDJをしていたからかどうかは分かりませんが、DJを入れて音楽を推したいとの事で、僕に「三重県に戻ってこい」との指令が入ったんですね。

三重に戻るのは、けっこうイヤだったんですが、当時は僕もフラフラしていただけだったので一旦戻って両親のお店を手伝うことにしました。

思ってたのと違った

三重に戻って、僕は好きなヒップホップのDJが出来るとワクワクしていたのですが、そこは全く状況が違ったww

お客さんとして来てくれる方々は、ほとんど全員が自分の両親の年齢に近い人たち。

ヒップホップなんて聴いたこともない方ばかりで、思ってたDJプレイが全くさせてもらえなかった。。

そこでは、お客さんのリクエストに応えて、店で用意した邦楽の7インチレコードでDJをするというのがスタンダード。

来店してくれたお客さんに喜んでもらって踊ってもらってお金をたくさん使ってもらうことが目的でした。

それでも腐らなかった理由

それでも僕がそこでDJを続けたのは、技術の研鑽があったから。

7インチを扱うことなんて少なかった頃でしたが、実際に触るととにかく難しい。加えてバンドの生音が中心なのでテンポを合わせるのもままならない。。

スクラッチしようものなら、すぐに針飛びするし。

DJをスタートして、安定した盤ばかりの12インチだけで慣れてきた僕にとって7インチを意のままに操るのは至難の業でした。

でも、難しくてとにかく楽しい♫

掛ける音楽はいわゆる懐メロばかりでしたが、当時の7インチでのDJ経験は、その後のヒップホップDJとしての活動の大きな自信へと繋がりました。

ついにヒップホップDJ!

冒頭で出てきたfu-schnickensを教えてくれた友人。

彼は、当時からめちゃくちゃヒップホップにどっぷりと浸かった、見た目からかなりイケてる同級生。

三重に戻ってからは、やっぱりそいつとつるむようになったんだけど、そいつが教えてくれたのが隣町にDJバーが出来たって情報だった。

しかも2軒も!!

「僕が両親の店で1年ほどゴタついてる間にそんなお店が!!!」

衝撃でした!

ひとつはA、もうひとつはR。
(今はどちらも閉店してます)

さっそくそいつに紹介してもらって、Aのお店に行くことに。

そして、そこで知り合ったのが、その後20年間という長い期間、活動を共にすることになった先輩DJ。

はじめてお店に行ったタイミングは、もう1軒のRでイベントがありAnoオーナーが回しに行くとの事で、ついていくことに。

大阪に住んでいたときは、外国の方がDJをしているのが好きで、よくドンフレックスに言っていたのですが、まさか地元でヒップホップのイベントに巡り会えるとはー!!

とても感動したのを覚えてます。

その後、Aのオーナーさんと話をしてDJをさせてもらう機会を頂きました♫

やっとヒップホップのDJが出来るときが来たんです。

7インチの経験が。

当時は、ラッパーのこと、DJのこと、プロデューサーのことなど、何も分かってなかったけど練習だけは積み重ねてきた。

そんな感じだったので、A先輩とヒップホップの話ができたのはメチャクチャ楽しかったし嬉しかった。

そして、そのお店での初DJ。

多少の緊張はあったけど、両親の店でのDJ経験もあったので、何をかけたのかまでは覚えてないけど普通にDJプレイ出来たのは何となく覚えてます。

特筆すべきは、皆さんからのコメント。

「DJ上手いな!」

色んな方からお褒めの言葉を戴けた!

当時はスクラッチもごく簡単なことしかできなかったんだけど、それでもずっと7インチで擦ってきたので針飛びなどは無いし、生バンドのズレる演奏でも次の曲へつなぐミックスをしてきたのでヒップホップのDJミックスはやりやすかった。

ここにきて7インチでの経験が良い感じで活きた。

その後、A店ではほぼレギュラーDJにして頂いてお店が閉店するまでの長い間DJをさせていただきました。

本当に感謝してます♫

三重でのDJ経験と特徴

三重でのDJ経験は僕に素晴らしいものを与えてくれました。

それは、お客さんとのコミュニケーション能力だと感じています。

東京・大阪・京都などの人口が多く、一定数以上のお客さんがいる環境では、お客さん自体が音楽を求めて踊りにきている場合が多いように感じます。

SNSのない当時でも、音楽好きな人たちが自分で足を運んで遊びに行くからですね。

でも、僕の地元は違っていて、情報を発信しないといけないし、来てもらった人に楽しみ方を分かってもらわないといけないし、最終楽しんで帰ってもらわないといけない。

だから必死になってチラシを配って、必死でチケットを買ってもらって、必死で楽しんでもらえる努力をしてきました。

音楽的には、DJがかける音楽を皆んな知らないから、盛り上がるということが無いし、DJのグルーヴだけが頼りで、お客さんの様子を見ながらDJが上手くコントロールする必要があったように思う。

自分よがりのDJプレイではダメだったんですね。

だから、僕も先輩にはお客さんの様子をしっかりと見ながらDJするように言われたし、DJブースのモニタースピーカーを止めて、フロア側の音の大きさや音質をチェックするようにしたりもした。

こうやってお客さんの様子を見ながらDJをすることで、楽曲ではなく音の構成やドラムの強さなど「どんな音でお客さんがどう反応するのか」を徐々に理解していって技術だけではない「選曲の大切さ」を学んできました。

今、京都・大阪に活動の場を移して一番感じているのは、そういう「お客さんを見ながらプレイするDJが少ないということ」です。

もちろん、イケてる人はイケてますけどね!

音の構成を理解して、お客さんを見つつ、自分の個性を出していく。

そういうスタイルを確立できたのが、三重でDJをやってきてよかったと思えることなんです。

田舎も捨てたもんじゃない!

苦労したことが、DJとしての自分に全部吸収されてる感じ♫

活動の場を移す前は、音楽をやれる場所が少なくてイヤだったけど、今はそれも良い経験だったんだなと思えるようになりました。

てことで、これからもまだまだDJ頑張ります!

それでは。


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YKBeats
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