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「おもしろきこともなき世をおもしろく すみなしものは心なりけり」

1.はじめに

 この記事は、現在人生がつまらないなぁと感じている人の励ましになればと思って書いています。

 さて表題は幕末の志士の一人、高杉晋作の辞世の言葉と言われています。現代語訳をすれば「心の持ちようによって、面白くない世界も面白くすることができるよ」という感じですね。心というフィルターを介して人は世界を見ているのだから、自分でそのフィルターを変えることで見える世界は変わるのだということです。ただこの言葉を聞いただけだと単なる気休めとも感じられます。ではどうしたらよいでしょうか?

2.人は社会的生物である

 人は多くの喜びを人間関係の中から感じるようになっています。家族や学校の友だち、会社の同僚との会話や交流の中から楽しさや喜びを感じるわけです。もちろん一人でやる趣味に没頭していても人は喜びは感じられるのですけれど、趣味の仲間がいれば喜びも倍になるでしょう。その意味で人間は社会的生物なのです。この前提に立つと、表題の言葉も少し違った側面が見えてきます。

3.心のフィルターの向こうにいるのは誰?

 最初の節で、「心というフィルターを介して人は世界を見ている」と書きましたが、その「心というフィルター」を通して見ているのが「あなた自身」とだけ考えるのは、少々考え方が狭すぎて発展性がありません。自分でフィルターを変えて、自分が喜んだり悲しんだりするだけでは独りよがりと言われてもしかたがないですものね。ここではもう一つの見方を提案します。

 自分の友人の中に苦しんでいる人がいるとしましょう。その苦しみの原因がどのようなものであれ、原因の捉え方で少しは苦しみが紛れることがあると思います。しかし渦中にある場合、人は考え方を変えることが難しいものです。そんなときに、第三者であるあなたは「心のフィルター」を少し変えて、その友人の苦しみをほんの少しだけ緩和させることができるかもしれません。あなたとあなたの友人は別の個体ですが、一つの小さな「共同体」を形成しているわけで、その「共同体」の苦しみの総量が減れば、あなた自身の苦しみも減ることになります。

4.とりあえずのまとめ

 上に述べた理屈はともかく、現在人生がつまらないなぁと感じているとき、少し「自分」から離れて、周囲に対して親切にすると自分も気分がよくなるという単純な話です。「人生がつまらない」という感覚は、怒りの一種です。自分が自分の理想状態にない、自分の人生に変化が無くて退屈だ、といった感情をひっくるめて「つまらない」と言っているわけですが、主語が自分で、登場人物が自分だけに限られていると、いつまでたってもその「つまらなさ」からは脱出することができません。仏教的な文脈でいえば、「抜苦与楽」、つまり他者の苦しみを緩和し、喜びを与えるといった、「他者」への慈悲の心を導入することで「つまらなさ」から脱することができるということになります。いつまでも一つの輪の中をクルクルと廻って抜け出せないという焦りを感じたときには、自分自身のことだけを考えるのを少し止めて、他者への思いやりを持つという方法で「世界を変える」という方法も考えてみると良いかもしれないという話でした。

 まあ言うは易し行うは難し、なのですが、あなたにとって表題の言葉が少しは役に立つきっかけになれば良いなと思って記事を書いてみました。もちろん私自身も上に書いたような心がけを忘れないようにしたいと思います!

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