2021.6月24日 『毒草師』 『QED ベイカー街の問題』 読了!
高田崇史氏の小説 『毒草師』と『QED ベイカー街の問題』、読了しました📚
QEDシリーズで活躍するのは、薬剤師・桑原崇さんですが
この『毒草師』で探偵役として登場しているのは、毒草師・御名形史紋さんです。
毒草師って、凄い肩書きですけど
実際には、こういう職業は無いようですね。
ただ、毒草と薬草は表裏一体というか、近しい関係にあるのだし
野草や山草全般の専門家の方ならいらっしゃるでしょう。
私も、庭に生えている野草を使った簡単な料理を作ることが好きで
野草・山草といったものに関心がありますので
小説の中に出てくる専門用語にも、興味津々で
大変面白く拝読しました。
それにしても。
私は、勝手に《毒草師シリーズ》は、新潮社から出版されているのだと思っていました。
初めは、幻冬舎から単行本で出ていたのですね。
その後、様々に形を変えて色々な出版社から出ているようですけども。
QEDシリーズのスピンオフ、という立ち位置にあるというのも、初めて知りました。
色々、繋がっているのですね🌿
そして。以前からぜひ読んでみたいと願っていた
『QED ベイカー街の問題』
やっと、読むことが出来ました。
こちらも、凄く面白かったです♪
これまで読んだことがある《QEDシリーズ》の作品と比べ、
よりフィクション度が高く感じるといいますか。
虚構に虚構が重なっている物語だな、という印象を受けましたね。
それにより、のびのびとしたゆとりが感じられて
純粋に作りもの・フィクションとして、楽しめました。
藤原定家や六歌仙は、伝承は様々あるとはいえ
歴史書や歌集にその名が記されていて、
実在の人物だったとされている訳ですが。
シャーロック・ホームズやモリアーティ教授は、
コナン・ドイル氏の創作であって、実在の人物ではありませんから。
解釈も考察も、正解を知っているのは作者であるドイル氏だけで
そのドイル氏が既に故人となっている以上、誰にも
「それは、間違っている!」とか
「これが、絶対に正しいのだ!」とか
言えないし、言う資格も無いですよね。
例えば。私が編んだ作品を見た他の誰かが
「これは、花をモチーフとしている作品である」
と、解説したとして。
「ピンポーン💡大正解!」とか
「ブブー🙅♀️ 間違いです。これは、船の舵輪です」とか
生きている今なら、言えるけれども。
この世を去ってからは、何にも言えない訳で。
私が、正解を誰にも伝えていなかったら
他の誰にも、何をモチーフとして編んだ作品なのかの正解は分からないのです。
「これは、花に間違いない。花が正解だ!」
なんて、決めつけられたら
「ちが────うっっ!! そうじゃないっつ──のっ!」と、
あの世から叫びたくなるでしょう。
(どうにでも解釈出来るような曖昧な作品を作ってしまった創作者側にも、
問題があるのかもしれないけども)
観た側・読んだ側が、自分なりの解釈や憶測をするのは自由だけども
これが絶対的な正解だと、決めつけることは出来ないのですよ。
言い換えれば、完璧な正解が永遠に解らないからこそ
自由にのびのびと、言いたい放題
憶測や想像で語ることが出来る、愉しい世界だとも言えるのですよね。
元がフィクションなのだから、大胆な解釈や新説も述べやすいとも思いますし。
繰り返しますが、ホームズものに関して
「これが、絶対に正解なのだ。あれは、間違いだ」と
はっきり言い切る資格があるのは、作者のドイル氏だけ。
☆
全ての創作物に関して、絶対的な正解を決めることが出来るのは、その作品の作者だけです。
鑑賞者が、あれこれ好きなことを語ってもいいけれど
決めつける資格はありませんよね。
この小説を読んで、そんなことを深く考えました。
創作者であるって、楽しい❣️ 幸せ💕
♪───O(≧∇≦)O────♪
鑑賞する側であるだけでなく
創作する側でいられることに、深い喜びを感じてしまいます。
創作者には、鑑賞者や表現者とは違う
絶対領域、自分だけの聖域があるのだと。
そういったことを、改めて自覚させてくれたこの小説に、感謝✨
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?