正しく理解..

時間ができる、と思ったら有り余ってきて逆に窮屈になってきた... 

そんな中、 書いてみました。。


「〜症」「〜症候群」「〜障害」これら名がつく診断名は、                                       医学的には 「原因不明」 ということになります。                                                  現代医学では原因がわからない場合こう言った診断名がつきます。 今の567も「新型567ウイルス感染症」なので実は原因は不明な部類に入ります。医者の方が作るカルテ。「〜症候群によるもの」などと記入されてた場合、一見原因がわかっているように思えますが、原因がわからないものに対して上記の診断名がついているので、ありのままに解釈すると、「診断は原因不明です」となってしまいます。

このことは最近知りました。 メディアで「567で〜〇〇で〇〇でした」と報道されたとき、医学的には原因不明なわけですから、正しくありのままを報道するなら「原因不明で〜〇〇で〇〇でした」と伝えることが真実を伝えてる報道になります。 

一体何が言いたいか。。 うーーん... 何でしょう...

頭の中に入れることばかりで、まるで覚えられていない、使えていない、故に知識にもなっていない、こう.. 無駄にしてしまっているインプット時間を回収するべく、ここで吐き出したいなあ...という理由で書いている..かもしれませんww。 

閑話休題。

「何か」から「何か」へ伝えゆく情報は、その間にある「何か」の数が多いほど、情報はそれぞれの「何か」の色を付けられ、元の情報とは形が全く違ったものになっていると思います。 そのことをわかっていれば、 思い込みのフィルターを通して歪んだ解釈をしてしまうことを防ぐことになったり、冷静に、周りに流されない強さを手に入れることにつながるかと思います。

しかし、それだけでは情報を刻んで消化して自分のものにすることができないと思います。

伝え聞く情報において「これはほんとにそうなのか..」と心構えのような目を持っていれば、思い込みで視野が狭くなることを防げ、それは視野を広げる事にもなって、視野が広がらなければ正しい判断もできないですし、得れる情報も圧倒的に少なくなります。 そしてそうではないと本当に考えるということができないように思います。  

ただ... 

問題はここからで...

これ、やっていってるうちに判断というものができなくなるような... すべて疑っていって結局判断ができなくなっていくような気がします。 じゃあどうするか...

「自分軸」と「一次情報」なのではないかと。。

「自分軸」、これ一見すると自分にフォーカスした思い込みのフィルターにならないか、、と思っちゃいますが、

この場合、どこに向かっていくのか、目的地の方向を決めてそこに至るまでに必要な情報を拾っていくために必要なものという定義で、                             「目的の明確化」=「自分軸」としてみました。 

入ってくる情報を選り分けて必要な情報を得るためには、 情報すべてを入れても、何がしたいか、なんのために仕入れるか、そこがわかってないと            インプットした情報はそのまま ただ入れただけになって「色」がつかず、モノクロのまま、ただ漠然とそこにあるだけ...となってしまいます。            

 「一次情報」が必要なのは、誰かを伝っていろいろな「色」がついたものに触れるより、何の色もついていない情報のほうが、より客観的に情報を捉えることができるんじゃないかと。 

ただ... 誰かを伝って得た情報が悪いというわけではありません。 大事なのはその情報が全てだと思わないこと。                                        

「こういう情報もある」「ああいう意見もある」「それ以外の情報もある」  これだけー!と猪突猛進にならないで、広く俯瞰で見れることが大事かなと思います。

今回はそんな思ったことを書いてみました。

                                                                                                                  以上です。

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