銭湯と私の話
小さな小さな街で育った。
保育所から中学を卒業するまで、同級生は14人しかいなかった。
外を出歩いても、知らない人なんてほとんどいない。出会うのは、幼いころから顔なじみの人たちばかりだ。まあ、そもそも出歩いている人がほぼいないんだけども。
言ってしまえば“ど田舎”である。
見渡す限り深い緑が続く山々に、地平線がはっきりとわかるほど広大な海。丘に立ち並ぶ風車、幼なじみの家はメロンやトマトが育つ畑に囲まれている。
(幼なじみの家の倉庫。出荷前のメロンたち)
こんな街には何もない。はやく都会に行きたい。私が求めているのは、ゆっくりと時間が流れて自然に囲まれた暮らしじゃなくて、ごちゃごちゃとした都会の雰囲気と最先端の情報に囲まれた世界だ。
この街に思い残すことや、胸にとどめておきたい思い出なんてないと、ほんの最近まで思っていた。
去年の夏、帰省したはいいものの、やることがなさすぎて散歩に出たときのこと。何気なく歩いていると、古びた銭湯にたどり着き、つい足を止めてしまった。
***
思い出したのは、オレンジ色でキラキラ眩しい夕焼けと、少し錆びた自転車のキコキコという音に、目の前にあるかわいらしい丸い背中。
祖母は私を自転車の後ろへ乗せて、よく銭湯へ連れて行ってくれた。
小さな街の、小さな銭湯。
たしか、露天風呂もあった。サウナもあった気がする。湯船はそんなに広くないから、周りの人に少し気を使いながら入っていたと思う。たまにお湯が熱すぎて、びっくりして泣いてしまうような子どもだった。
銀色のカランが並ぶ洗い場で「おばあちゃんの背中、洗ってあげるよ!」と、その丸くてかわいい背中を一生懸命ゴシゴシした。
「ありがとう」「上手だね」と笑ってくれるのが嬉しかった。私はえへへと照れ笑いしたあと「まあね!」と誇らしげに返す。
祖母はしきりに「かえちゃんは、いつまで一緒にお風呂入ってくれるのかなあ」と言っていた。
4歳そこらの私は、大人になってもずっと祖母と一緒にお風呂に入ると思っていたから、さぞかし不可解な顔をしていたのだろう。祖母は笑っていたけど、なんだかちょっぴり悲しそうな表情をしていた気がする。
お風呂から上がったら、必ず自動販売機でジュースを買ってくれた。「お母さんには内緒だよ」って、祖母とふたりだけの秘密を、私は20年経った今も、律儀に守っているのだ。
それから「今日の晩ご飯はどうしようか?」と悩みながら、ドライヤーで髪を乾かしてくれると、また自転車に私を乗せてキコキコと家に帰る。
思えば、間違いなくかけがえのない時間だ。
兄とケンカした話、母に怒られた話、嫌いなものを食べれた話、ハムスターに噛まれた話、新しいおもちゃを買った話、祖母はどんな話も嬉しそうに楽しそうに聞いてくれる。祖母をひとりじめできる銭湯での時間が好きだった。
祖母は私と過ごす銭湯での時間を、どう思っていたのだろう。
***
そんなかけがえないのない日々の数ヶ月後には、祖母と銭湯に行くことはなくなっていた。癌で入院をした祖母は、あっという間に話せなくなって、いろいろな管につながれて、お風呂なんてとても入れる状態じゃない。
母に叩き起こされた朝、家に帰ってきた祖母は冷たかった。
5歳の私に人が死ぬことの意味なんてわからなかったけど、もう自転車の後ろに乗って、夕陽を見ながら銭湯に向かうことができないのだけはわかった。
***
私はもう、ひとりで銭湯に行ける大人になった。熱いお湯にはまだびっくりするけど、泣いたりしない。
去年の夏、目の前で足を止めた銭湯には、抱えきれないほどの思い出が詰まっていた。振り返ると、つい目を細めてしまうほど眩しい夕陽が、小さな街の小さな銭湯を照らしている。
きっとこの銭湯にはたくさんの人の、たくさんの思い出が詰まっているはずだ。私が想像するよりもずっと多くの思い出があるだろう。
この銭湯も、ここにある思い出も、絶対に忘れたくない。
まるでお手本のような夕陽を見ながら帰った私は、祖母と同じ顔で夕飯に悩む母を、銭湯に誘った。母はなんだか、すごく嬉しそうだった。
銭湯にはきっと、知らない誰かの素晴らしい思い出が詰まっている。
いつも通りの世界に、なにも気にせずに銭湯に行ける日が来たら、その日のことはまた、銭湯と私の新しい思い出となって、記憶に残ることだろう。
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