クソ世界を生きるためのマイルール。備忘録:偽本能。
クソな世界をクソではなくするために。
現時点のクソな世界をクソじゃなく生きるためのマイルールは
① 時間の密度を濃くし過ぎないこと。
② 世界の主人公は自分であること。
③ 正を考えないこと。全てはゼロかもしれない。
それぐらい。
①時間の密度を濃くしないように生きよう。というもの。
どう足掻いても今の世界は情報に溢れ過ぎている。と思う。
いつも時間を奪うのは携帯電話という盗人である。
彼らは時間の窃盗団で、時間を奪い、幸せから遠のかせてくる。
彼らとはうまく付き合わないといけない。と思っていても中毒性はどのドラッグよりも脳を溶かしていくみたいだ。
携帯を触らないでおきましょう。という素直なことが言いたいわけではない。
時間における密度を求めるなということである。
時間というスケッチブック全体に絵を描くな。6割が最大かも。
何かあった時のための受け皿を持っといてみて。
その受け皿は煩雑でいい。
タバコと共にする時間。愛犬と戯れる時間。花を愛でる時間。ちょっと遠回りする時間。どうでもいい雑誌を読む時間。どうでもいいヒトと情報交換する時間。どうでもいい人間を観察する時間。
決して単位は時間に限らず、自らのメモリーたちも。
余白を持たなければ、なかなか気の向くままに生きることは難しい。
どうでもいい時間がクソじゃなくすることが多々あると感じるこの頃。
歌詞で埋め尽くされた付け入る隙の無い音を聞くと、無感で、何も考えられない。それがすべてでは無いけど。
jazz, classic みたいな。その音に余白があればあるほどいい。
その音に空いた余白をあなたが埋めていけばいいから。
歌詞で埋め尽くされたら、他のこと、考えられないからさ。
最近のおすすめはYoko Komatsu さん
規律とした音かと思えば、そうでもない。
余白がそこにある気がする。
毎日、毎時を土曜の夜の優雅さを持って。
② 世界の主人公は自分だ。
誰に何を言われても、それを社会が許さなくても、誰かに迷惑をかけても。
世界を生きる主人公は自分だ。
批判、否定。それらは本当に必要なのか。
自らが生きる世界はあなたのものであって、他者は他者である。
欲まみれの世界は他者が生きる混沌とした別世界にあって、自らの世界ではない。ピースに行きましょう。
そして、想うこと、感じること、欲するものを信じて生きること。
自分を追求して、
今の自分よりも、明日の自分が「自分らしさ」を持って生きられること。
それが、人生を生き抜くために必要だと思う。
深みを持って。自分を愛して生きる。
注意書きで、前置きしたいのだが、
「自分を追求する」すなわち「自分らしさを磨く」ということは、社会から逸脱していくことであって、
いつしか孤独となり得る可能性があるということ。
個性と孤独はどうにも連帯責任らしく、個性を貫くならば、孤独を持って生きなければならないらしい。
孤独で生きられる覚悟を備えながら、自分らしさを磨いていって。
③ 正を考えないこと。世界は0かもしれない。
彼は頭がいい。いい企業に就職した。
そう憧れを抱くかもしれない。でも、いい企業に就職をすることが正解では無いのでは無いだろうか。
僕らが生きるこの世界で、そもそも競い合う必要があるのか。
否定も肯定もしないこと。
知見を持って生きる方が良いとも限らない。
目の前の物事が知見を持たない方が良いことだって多いはず。
世界の裏側を知っている方がいい。ということもない。
純朴に生きていられた方が幸せかもしれない。
高所得者と低所得者。
年収1000万と年収300万。
レストランとサイゼリヤ。
板前寿司と回転寿司。
1000円バーガーとマクドナルド。
豪邸と6畳半。
美夫婦と並夫婦。
どっちが欲しいかと言われれば、前者を述べる。
でもどちらが幸せか。そんなものはわからない。
人生で数回目のパチンコに行った。
金がない僕。焦る僕。喜ぶ僕。
この喜怒哀楽を幸せと呼べるなら、富裕層はこの幸せを手にすることができない。ということ。
お金がなくて、苦労するかもしれない。
でも死なない。生きられる。置かれた場所で実を成せばいい。
お金に限ることはない。例えば、
太り過ぎて、長生きできなかったひと。
ドラッグで死んだひと。
太り過ぎた犬は早死にする。
でも長く生きられる方がいいなんて誰が決めたこと?
毎日、ステーキを食べて、すぐに死んだ犬の方が幸せかもしれないのに。
ドラッグによって、快楽を得て、生きたこと。
ドラッグも社会は許さないけど、その人が幸せならそれで良くない?
何においても、人間は他者との関係の中に生きる。
他に批判されたことでも、それは間違いではないかもしれない。
この世に正解なんてないって思えたら、楽かも。
備忘録。忘れないようにという願いを込めて。
やけにこの頃、
「世界は美しい」というフレーズが幾度となく現れ、底まで響く。
本当に世界は美しいのだろうか。
西へ3時間。前夜に訪れたその衝動は「I don't wanna die.」と歌う女性
ステラ・ドネリーと同じ空気を吸ってみたいというもの。
hippie move 、狂気と感じられたはずの姿が、いつしか天使にしか見えず、盲目に陥っている僕だった。決して、cute や funny という感情ではなく、その感情を表す言葉を僕は知らない。
目の前に這っていた、護身用のレンズが粉々に砕かれた気分。
死にたいとひたすらに放っていたその言葉が、輪郭を失った。
どうやら、一緒にいたハイボールは士気が足りないようで、
気が抜けたマヌケヤロウだったこと。
水分に満ちてその顔が目に映らず、今は思い出せないこと。
それらは汚点だった。
本能は生きたいのか。理性が押さえつけようとしていたのだろうか。
これまで、偽っていたのかもしれない。
自らの本能を確かめようというのが近頃のテーマになりつつある。
どうやら世界は美しい。と言えるように。
世界に対して、なぜ醜いと思っていたのか。
今はその根を掘る日々を送っている。
手法はひたすらに、過去をなぞること。
過去と同じ情景を以前に持っていなかった、知見によって読み解く。
根源を成す、ピースが解明されることが多い。
以前と比べ、携わった知見というものは、透明な目を持ったというところだろうか。
想像、理解。
目の前にある事象が断片的で一部に過ぎないというものだ。
目の前に生きるこのヒトはどういう世界を生きているのだろうか。
何を感じ、何を考えているのか。その情緒はどういった過去によって形作られてきたのか。想像してみること。ヒトに限らず、全てのモノに対して。
想うことの正誤は関係ない。
過去を探り入ること、
それが「人を想う」に繋がるという仮説を持っているから。
目の前に訪れる断片的なピースだけで作ったパズルは脆く、浅い。
だから、
深くできるかぎり包括的?にパズルを組み立てよう。
長く、時間をかけて。
そうすると、人間って興味深いとでも思えてくるから。
HSPらしいヒトはそう感じて生きてみてる。
あとがき
久しぶりにタイピングすると手が痛くてしょうがない。
この辺にしてやるか~。まだまだ言語化したいことがたくさんあるけど
最近noteを書く気が起きなかった。
理由は堕落していたから。本当に。
10時間睡眠。3時寝、13時起。
怠惰すぎる。
でも堕落して得られる知見だってある。
堕落しないと見えなかった世界がある。
質の悪い睡眠をして、その分長く寝ないといけない。
シングルベッドを愛犬と分け合い、寝返りを打てない。でも、朝起きたら大好きな愛犬がいて、早朝に顔を舐めてくる。腹立つ、鬱陶しい、もっと寝たいわ、でも、、幸せだ。な。
なんて思う毎日。
どうやら、世界は誰にとっても良いものなのかもしれない。
一方的に憐れむ、可哀想に思う心は神様が備え付けた、イジワルなのかもしれないってことだ。
最近note見たって言ってくれる方々がいる。
嬉しいのか、恥ずかしいのかわからない。
でも、世界が少しでも良くなることを願う身にとっては良いことなのか。
誰かの世界が少しでも明るくなれば、良いなぁ。
それでは、また。