【自己紹介】年収800万円を捨て脱サラ達成するまでの軌跡~Part2~
情報発信をしていく中で、大変うれしいことに、多くの方から「どのような人生を歩んでこられたんですか?」「どうして脱サラで来たんですか?」とお声を頂くこと増えてきたので、『今までに至る道のり(軌跡)について』自己紹介を兼ねて書いてみようと思いました。
この記事では、約10年間会社員勤めで、絶賛社畜脳だった人間が、脱サラを決めて、物販業で生活をしていくようになるまでの軌跡を自身のエピソード(実話)を交えながら解説していきます!
このPartでは
・新卒を2か月で飛んで、底辺に落ちた生活
・這い上がるためのスキルやそれを選んだ理由
についてのエピソードを書いていきます。
前回までのあらすじです。
・ド底辺生活スタート
新卒で入った会社を2か月で飛んだ私ですが
最初の1週間はニート生活をしていましたが、だんだんと将来に対する不安に苛まれ、働くことを意識するようになりました。
そうはいっても、2か月で飛んだ事実が履歴書に記録されたことで、このまますぐに就職活動をしてもロクな会社に入れないなとも思っていました。
そこで、何か「スキル」を身に付けなければと考えるわけです。
何かと「グローバル」なんて言葉が聞こえてくる時代であったこともあり、海外と仕事のできる会社に勤めたいと思うようになっていました。
そこで、『英語力』を身に付けることを決意します。
「就職すること」に重きをおいていたため、(当時は就職に有利とされていた)『TOEIC』のスコア取得に向けて勉強を開始します。
ここから、ど根性底辺生活のスタートとなります。
・ど根性ド底辺生活の日々
まずは、当時の生活を振り返ってみます。
勉強だけをやっていられる状況ではなかったので、バイトの掛け持ちは必須で働きながら勉強をする必要がありました。
ここでみなさん疑問に思たことがあると思います
「何故わざわざ国立国会図書館へ行くんだ?」と。
当時は、「とにかく節約をしなければ!!!」の気持ちが強く
食費は言うまでもなく、参考書や交通費さえ勿体ないと感じていました
しかも、国立国会図書館は、参考書は何でもそろうという情報を聞きつけ
「タダで学べるやん!」これはチャリで行くしかないなと、思ったわけです
20代そこそこで、チャリと体力だけはありました笑
こんな生活をただただがむしゃらに続けていきました。
ど根性生活スタートから
遂に約1年で、『TOEIC』スコアを780点まで上げることが出来ました※満点は990点
(現在は分かりませんが)当時は、600点~700点以上のスコア保持で、「おっ、こいつ一応英語力はあるんだな」と評価されるレベルでした。
このスコアを取得したことで
いよいよ再就職に向けた活動をスタートさせていくことになります。
・再就職に向けた活動
再就職をするにあたり、就職先の条件は次のように考えていました。
・東京都内に本社所在
・海外との取引があること
・英語を使う、英語力を求められること
・商材は問わず
これらの条件でエージェントの力を借りて、就職活動をしていきました。
新卒を2か月で飛んだ傷の影響は、ゼロではありませんでしたが、幸いにも活動開始から、約2か月で再就職先が決まりました。当時はとても安堵したことを今でも覚えています。
今回は以上でございます。
これで晴れて、再就職を果たすことになるのですが、ここから約10年の社会人としての人生をそれなりに謳歌し、絶賛社畜脳どっぷりになっていく時代に迫っていくことになります。
早速このままPart3へレッツゴー!
ここまで読んで下さり、本当にありがとうございます。
また次の記事でお会いしましょう、それでは!
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