見出し画像

【自己紹介】年収800万円を捨て脱サラ達成するまでの軌跡~Part1~

情報発信をしていく中で、大変うれしいことに、多くの方から「どのような人生を歩んでこられたんですか?」「どうして脱サラで来たんですか?」とお声を頂くこと増えてきたので、『今までに至る道のり(軌跡)について』自己紹介を兼ねて書いてみようと思いました。

この記事では、約10年間会社員勤めで、絶賛社畜脳だった人間が、脱サラを決めて、物販業で生活をしていくようになるまでの軌跡を自身のエピソード(実話)を交えながら解説していきます!


このPartでは、無意識・無自覚ではありましたが

改めて、振り返ってみたところ

・「実は社会不適合者で」
・「レールを外れることに躊躇が無い」

そんな気質があったのかもしれないな、と思えるエピソードだったと思います。




・大学生時代(3年生~卒業)


遡ること、大学生時代。

私は生まれが名古屋で、高校生まで名古屋の実家で生活をしていました。
兄弟はおらず、一人っ子で育ち、大学進学を機に東京へ上京しました。2007年)


ココだけの話、、、
出身大学は、、、、最近何かと話題のN大出身です泣笑💦


大学入学後は、よくあるウェイウェイやる学生で、ろくに勉強もせずあっという間に3年間が過ぎていきました。

その間、明け暮れたのはバイトで、とにかくバイト三昧で、週5~6の勤務は当たり前でした。それが、ただただ楽しかった。

バイト代のほとんどは洋服に消えていっていました。


カード返済のためにバイトしてたようなもんだったなぁ。。。
今となっては、当時購入したものは何一つ残っていないという泣


そうこうして就職活動を迎える大学3年生(2009年)、4年生(2010年)の時、就職先を漠然と大手企業に勤めることだけ考えて、就職活動開始していきました。

大した準備や努力もせずだったので、案の定全滅。。。

当時は就職氷河期と言われていましたが、約30社ほど受けて採用通知が来たのは1社のみでした。しかも卒業直前に。

その企業は通信系の会社で一応「一部上場企業」でした。

今思えば、見栄や体裁だけで、聞いたこともない”一部上場企業”という肩書だけで入社を決めていました。

その決断が、後に後悔を生むことになるとは、この時の自分は想像もしていませんでした。。。


・晴れて新社会人に


2011年2月に、入社前の「社員研修合宿」が開催されました。

最初の衝撃!!!

これがまじで鬼畜でした!!!!!!!

実際にどんなのだったか、簡単にまとめてみますね、、、



この時、

自分は来るところを間違えたのか?
この会社普通か??

と、一瞬思いましたが、新社会人になれた喜びの方が強く、その気持ちを打ち消すように、期待に胸を膨らませていました。


今思えば、この「疑問に思っても見ないふりしている」感じもヤバいよな~

筋トレの筋肉痛と連日の”全力”社訓唱和で喉潰れて帰ってきました泣


そんな地獄の新人研修合宿を経て
晴れて2011年4月に新社会人となりました!

がしかし!!、入社初日に、またもや「???」な出来事が


間違いなく一部上場企業への入社でしたが、まさか入社初日に子会社への出向を命じられることに。笑(え、どういうことよ・・・)

当然、「???」となりますが
「大手や普通の会社でもよくあることなんだろう」と謎の解釈をして、受け入れます。

ちなみにですが

会社の業態は「通信機器販売会社」
・法人に対するスマートフォンや複合機等の販売
・その他通信機器関連全般の代理店販売
・主にテレアポによる法人営業スタイル(のはず・・・)
・その出向先子会社の従業員は約20名
・社長1名、課長1名、係長1名。17名の新入社員


今思えば、自分自身無思考で謎解釈しちゃうところ、本当「・・・」だ

それと、この編成の会社「????」、まじで謎です爆笑
社長・課長・係長以外新入社員ってどういう組織だよ!!!


入社初日こそ、課長から会社のルールや業務説明がありましたが、翌日からマニュアルに沿って、即テレアポ業務を開始します。

商品知識も顧客対応もマニュアルはありましたが、全然その体裁をなしておらず、当然素人が電話をかけてきたら、顧客もガチャ切りは当たり前

「お前は何が言いたいんだ?」あげくには
「どこからこの連絡先を手に入れたんだ~~~!!!!」の
お叱りを受ける毎日でした。

加えて、新卒であっても個人ノルマが課される始末でした。

このノルマは絶対で、法人で契約が取れない場合、親、兄弟、身内にでも提案して取ってこい、のよくあるパターンのやつです・・・

入社1か月目こそ、身内や友人の力を借りて、何とかノルマをクリアしました。ノルマ達成が叶わない他の社員は、別の会社へ異動させられました。


正直意味不明だよね。成績下位者2名が、初月で飛ばされる
カイジの世界なの??(もちろん別の関連会社への異動でしたが)


当然、身内や友人からの手助けも長続きするわけなく

2か月目の半分が過ぎたあたりから
・「お前はいつ契約が取れるんだ?」の怒号を毎日浴びる
・「道端で声かけてでも売ってこい」の強制営業を強いられる
・毎日のテレアポにより、就寝中、電話のコール音でうなされる毎日
・顧客からは相変わらずキレられて、ガチャ切りされる毎日

入社2か月目の最終週を迎える月曜日の朝

とうとう、堪えていたものが爆発し
出社拒否をして、そのまま飛びました笑

無断欠勤した翌日、課長から鬼電が来るも恐怖で出られませんでした。
翌週、人事から連絡があり辞める意思を伝え、書類のやり取りのみで退社しました。


今思えば、最後の行動は社会人としてあるまじき行動だったと反省


という感じで

新卒で入社した会社は「超絶ブラック企業」だったのですが
当時は”無駄に”「新卒で進まなければ!」の思いで就職活動をし、無思考に入社を決めていたので、本当に情けないなと思います。

なので、今となっては
「無思考」「無知」というのは、本当に危険な状態だなと思います。

ましてやその状態で、人生の道を決断しているんですから。

ただ、結論に対する見方を変えてみると

「みなと同じことをしない、決まった道を行かない気質があったのかもね」

と、幼馴染に言われたときは少し救われた気がしました。



今回は以上でございます。

次のPartでは、新卒を2か月で飛んでしまった私ですが、そこからどのように這い上がっていくのかが分かる『ド底辺生活』についてのエピソードを書いていきます!

早速このままPart2へレッツゴー!


ここまで読んで下さり、本当にありがとうございます。

また次の記事でお会いしましょう、それでは!

◆【マガジン】ハイブランド輸入物販とは?◆