Youtubeに演奏動画をUPするということ
10月からYoutubeへの演奏動画アップを始めて、約3か月が過ぎた。最近は週一のペースでアップしている。なぜ私はやり始めたんだったかと思い出そうとしても、ほんの数か月前のことのはずなのに、すぐには思い出せない。
先日知人との会話の中で、Youtube動画で私が顔も演奏している姿も公開していることについての話になった。そこから考えてみる。
これまでなぜ演奏している姿の動画を公開してきたかというと、私が音楽を聴く場合、耳だけで理解するより、奏者が演奏している姿や表情を見ることでより深く理解できるし、実際本音を言えば私は耳だけでは理解できないので、観察することの助けを必要としている。
なので演奏する自分の姿を客観的に見て、演奏の流れを確認しておきたいのと、視聴する方々にとっても、音だけよりも演奏している姿を見る方が理解していただけるだろうと考えた。
その結果、理解し受け止めて下さる方がいて、喜びや共感が生まれるならば、それがたとえ一人であっても充分だ。
特に私自身がこれまでギターを弾くのが殆ど独学だったので、おなじような境遇の方ともつながれるのではないかという考えもあった。
さて私が独学を続けてきたのには様々な理由がある。私の場合はおおよそ以下の理由による。
経済的問題、環境(周囲に対する配慮、大きな音を出せないetc)
内向的な性格で人前で自分を表現するのに抵抗を感じる。
音楽教育が裕福な人の占有物のようで、その印象への抵抗感。
私の特性に合った適切な指導者に出会えるか?選べるか?
何度か発表会や、音大生演奏会などに行って感じた、習い事として音楽をする人特有の、人を評価し採点しているような空気への恐怖・抵抗感。
以上の点について共感される方は多いのではないかと考えている。かといって上記の点で恵まれて好条件の中で育った方々を批判するのではない。ただこのような問題で音楽を続けられず挫折してしまうのは残念だ。
こうして私は、40歳半ば頃までギターを弾き続けてはいても、どうやれば演奏が上達するのかわからず、ずっとコンプレックスと上達への憧れを抱えたままだった。しかしインターネットの登場によって状況が変わった。様々な技術的な指導を公開してくださる方が次第に増えてきたのである。しかもYoutubeでは動画付きだ。もちろん最初の頃の指導は玉石混淆だった。しかし次第により洗練された指導が登場し始めた。また素晴らしい一流の演奏家たちの演奏、演奏時の表情や体の動きにも触れることができるようになった。それはかつての私には望みえないことだった。なので独学とはいっても実はそうではない。贅沢なほどたくさんの教師の中から、必要な教えを受けられるようになった。こうして私がクラシックギターを弾く技術を、基本から見直し始めたのは50歳頃だった。
しかしそれだけでは不足がある。自分の演奏や練習結果の客観的な評価者と、困難に直面した時の適切なアドバイザーがいない。そのため私は、それを補うために録音をし、自分自身で念入りにチェックし、問題が生じた時の状況・原因分析と解決策の検討、そして改善という、地道な作業の繰り返しを自らに課すことになった。しかしそれが大変なのは最初の頃で、それが習慣化してしまうとそれは苦ではないし、たくさんの発見ができる喜びに変わってしまうことに気づいた。
それからYoutubeに動画をアップするようになって、自分自身の変化について気づいた一番大きな点は何かというと、かつての私は良い演奏ができるようになりたいという願い・憧れの中にいたのだが、今の私は、今という瞬間に全身全霊で音楽の中で生きること、そこへ集中することに焦点を絞っている。良い演奏とはそのように生きた結果の中にしかないと知っている。
さて私は今、私と同じように充分とは言えない音楽環境にいる方が大勢いるのだろうと想像している。そのような方々のために現代のインターネット環境の発達は絶大な支えとなっている。そしてそのような方々の存在や成果の記録がそこに残されるなら、多くの人がそれに触れることができるようになる。触れるも触れぬも自由、殆ど無制限に多くの人の前に開かれたものとなる。
最後にYoutubeに動画をアップする理由としてもう一つ、現在62歳の私は、あと何年元気で動けるかわからない。なので、これまで生きてきたこと、演奏を続けてきたことの証(あかし)に…という意味もある。
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