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一人と一人

 ガタンゴトンと列車が揺れる。ほんのりと月明かりが照らすのどかな風景の中を切り裂くように進んでいた。
「朝には着くんだっけ」
 静寂の中彼が急に口を開く。ずっと黙ったままはさすがに気まずかったのだろうか、無理くりこちらに話かけてきたのが手に取るように分かった。
「そうね、たしか9時ごろだった気がする」
 乗る時に車掌に見せたチケットの券面に書いてあった数字を思い出して答えた。
 彼は自分の腕時計を確認し、ちょっと嫌そうに眉間にシワを寄せる。この微妙な雰囲気が続くのが相当堪えるらしい。
 まぁ、私も同じ考えだが。
「……まだ結構あるな」
 私もスマホを取り出して今の時刻を確認した。
 午前0時過ぎ。まだ到着まで8時間以上もある。
 寝台列車だから寝る時間もあるとはいえ、この状況はなかなかに辛い。
 目的地に着いてしまえば色んなスポットや食べ物の話をすればいいだけだから、そんなに気まずくはならないだろう。
 でも今はうすぼんやりした夜の田舎の景色を走っている列車の中だ。どうにも話す話題など思いつかない。
「……別れてからの家は決まった?」
 列車の揺れる音しかしなかった狭い個室に彼の声が静かに響く。
「うん、職場から近いとこ借りることにした」
 今住んでる場所からはどうしても離れた場所に引っ越したかった。街を歩くだけで彼のことを思い出していては意味がない。
「そっか。ちゃんと見つかったみたいで良かった」
 さっきの怪訝な表情とは打って変わって目尻が下がる。本当に安心しているような顔をしていて、変な優しさに逆に腹が立った。
「そっちも今のとこ出てくんでしょ?」
 本当はそんなこと興味はないのに、苛立ちを隠すように話題を相手に向けた。
「あぁ。あの家は楽しかったこともあったけど、色々思い出しそうだから」
 ここら辺で唯一の光源である月を見上げている。今までの生活の一つ一つを噛み締めているような、そんな顔に見えた。
 これまで結婚してから本当に色々あった。
 私の誕生日に彼が好物を作って待ってくれていたこと、ずっと家にいるのに昼寝をして洗濯物を濡らして怒ったこと、一緒にすごろうゲームをやってちょっとギスギスしちゃったこと……。
 良いことも悪いことも全部、車窓に浮かび上がっては消えていく。
「まだ決まってはないけど、俺も会社から近いとこにする予定」
「まぁ、通勤時間が短くなるし結果オーライだな」
 能天気なことを言うと歯を見せてあからさまな笑顔を見せる。本当はそんなポジティブなことを微塵も思ってないくせに、こういう時くらい本音を言えばいいのに。
 私は彼の作った顔に合わせて軽く微笑むと、また沈黙。
 そんな静寂に割って入るように、けたたましい音が車内に響いた。どうやら列車がトンネルの中に入ったみたいだ。
 そろそろ寝ようと思っていたのにこんな音の中じゃ寝られない。
「えー、今この夜行列車はトンネル内に入りました。しばらく走行音が大きくなりますがご了承ください」
 私の気持ちをすくいとるように車掌のアナウンスが聞こえた。
「……タイミング悪かったね」
 こちらも私の感情を見計らったように、苦笑いを浮かべて声をかけてくる。
「うん。もう眠いのに」
 嘘。本当は眠いんじゃなくて彼と話したくないだけ。
「俺も」
 これも嘘。彼もきっと私と同じことを考えてるはず。
 ゴーっと低く響いたような音の中、お互い顔も合わせずに窓の外のトンネル内の様子を見つめる。
 さっきは暗いとはいえ月明かりもあったし、外の景色はうっすら見えた。でも今は本当の闇だ。明かりが全くない、窓に映った自分の顔が反射してくっきりと見える。なんだかやつれた顔をしていた。
 この旅行を計画した半年ほど前は、すごく楽しみにしていた。普段休日が合わないので大分前から彼が準備してくれていて、チケットの手配やホテルの予約までやってくれて。
 寝台列車に乗ってみたいだの目的地に着いたらこういうことをしたいだの笑顔で報告してくるから、どんな旅になるんだろうとワクワクしていた。
 でも今は違う。独特の重い空気に押しつぶされそうだ。
 横目で彼の顔を見やる。私と同じくただの闇をぼーっと見つめていた。
 私は早くこの窓の外の闇が終わりますようにと、静かに瞼を閉じた。

――――どれくらい経っただろうか、私にとっては永遠のように感じた時間は轟音が静まることで終わりを告げる。
 窓の外は先程と同じように月明かりに照らされた田園風景が広がっていた。
「やっと寝れるね」
 隣を見ると彼は嬉しそうに笑いかけてきた。私が寝れるのが嬉しいのか重苦しい雰囲気が終わるのが嬉しいのか、恐らく後者だろう。
「うん、長かった〜」
 大きく上に向かって伸びをする。変な緊張のせいか身体がガチガチだ。
 やっと気を使わなくて済む。それだけでホッとした。
 さっさと寝てしまおうと、立ち上がってベット横の梯子を登ろうと手をかける。彼はもぞもぞとポケットをまさぐり始めた。
「あ、俺はちょっとたばこ吸ってくる」
 そう言うとそそくさと喫煙所の方に向けて歩き出す。トンネルの時に行けば良かったのに、揺れるからやめておいたのかな。
 一人でその梯子を登ると窓の方に顔を向けて横たわる。
 彼が戻ってくるとたばこの匂いが気になって眠れなくなってしまう。早く寝ようと急いで目を閉じた。
 二人のようで一人と一人の朝をこれから迎える。

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