それ、騒音でしょうか?
最近は盆踊りを見かけないそうで踊ったことがない人も多いとか。コロナのせいでもあるが、一方でクレームが厄介でやらなくなったということが多いそう。なぜか、こういう類のクレームはよく聞く。「子供がうるさい」というのとか「除夜の鐘」の「百8つ」もうるさいなんて言われる。おまけにカエルの大合唱すらもうるさいと言って裁判を起こしたなんてこともあった。
いろんな騒音
飛行機、ヘリ、電車、工場、工事、ライブハウスなどいろんな騒音があるが、こういうことは大きい音を出すものだし、近代になって生まれたもの。それに「バカみたい」と言える大きな音を発する。これらは対策や地元との対話を重ねて場合によってはそれなりに受け入れられるようにはなっている。他にも、隣人の発狂などもそういう類のあからさまな大音声を出して、大迷惑になっている。「公害」なんて言われるほどだ。
昔からある音
でも、「除夜の鐘」「盆踊り」は我々が生まれる遥か前からあるものだし、「子供の声」なんてのは自分で抑えようのないこと。そして「カエル」に至っては自然界の音だから「どないせぇっちゅうねん!!!」って言いたくなるぐらい無茶過ぎる。おそらく、孤独になっている人がヒステリックになっているに過ぎず、そういう季節を感じて、歴史ある良いものを否定する分からずやのようなもんだ。
僕の故郷では
僕の故郷では「除夜の鐘」や「盆踊り」を普通にやっていて、そういうことを言ってくる人間はいなかった。「除夜の鐘」に関しては最近はテレビに夢中で気がつかないが、やっぱり新たな年を告げるサインだと思う。
「盆踊り」は滋賀独特の「江州音頭」をやっていて、老若男女から「ドラァグクイーン」のようなド派手でしなやかな人たちまで入り乱れて2時間ぐらい踊っては抽選会をやっていた。さらには焼きそばやたこ焼き、ヨーヨー釣りなどの模擬店も盛んだった。
些細なことでヒステリックになる人は多いし、かなり目立つ。余裕の無さは悪いスパイラルを呼んでしまうもんだし、楽しいことや良いものをやりたくないということだって起きてしまう。こればかりは自分でなんとかするしかないし、他人がどうこう言ったところで「瀬戸物のぶつけ合い」にしかならない。騒音とそうでないものの区別がつかないというのは悲しいもんだ。そうならないためには自分がそういう感性を磨かないと。