おふざけとテキトーが足りない。
38年ぶりの日本一に輝いた「阪神タイガース」。祝勝の「ビールかけ」は選手、監督、コーチを始め全員ハメ外しまくりだ。
これを見てると僕は思う。
こういう「おふざけ」よぉやらんわ。
柄じゃないし。
同じことを昨日の朝の『ボクらの時代』を見てたときにも思った。
この日のゲストは
ユースケ・サンタマリアさん
中村倫也さん
マギーさん(俳優、演出家、脚本家)
その中で気になったのが「ユースケさん」。バラエティ番組で常にボケまくる「テキトーキャラ」なこの人が番組スタート直後にこんなことを言い放った。
『ボクらの時代』涙の最終回ってことでね!
右上のテロップには「涙の最終回?」と出てた。
んなわけないやろ、勝手に終わらすな!笑
と僕もつぶやく。ユースケさんも何かしらのツッコミテロップやナレーションが出るのを窺わせるフォローも挟んだ。なんせこんな中途半端な時期だ。
突拍子もないことをいきなり言ってのけたわけだが、あからさまだったからか面白かった。これを言ったのもいわゆる「つかみ」と「オチ」。本題は真面目な役者だった。
この2つを見るとこれらの「おふざけ」が自分には足りていないと感じる。あまりにも真面目過ぎて
こんなことよぉ言わんし、やれんわ。
「天然ボケ」は自覚してはいるが、「ボケキャラ」なのは認めたくない。自己否定の原因になっていて、妹の前以外では、ボケるのが怖い。むしろ、「ツッコむほうが安心」だったりも。
とは言っても、「激しいツッコミ」よりは優しめが良い。「ダウンタウン」の激しさよりかは「コマンダンテ」の内気なのが僕の性に合ってる気がする。口を開けば逆に突っ込まれかねないが。
こういう「テキトーキャラ」は自分とは真逆でできないこととして見ている。昔からこんな発想がこびりついていた。
自分がこんなことすることは、はしたない!恥や!嫌や!
俳優で言えば「二枚目」の立ち位置でいたかった。父親もどっちかと言えば「二枚目」キャラ。大人しい家系で育ってきた。周りに流されやすい影響が出ていたように思う。
あとは、おふざけして怒られた記憶もある。昔はやんちゃしてて、写真ポーズもそれが窺える。しかし、小学校高学年になるにつれてごくフツーで表情も硬くなっていった。
そんな影響はいろんなところに及び、挙げるとキリがない。
頭が固く、回転が鈍い
アドリブが怖くて、話下手
変なノリに上手く返せない
セッションが怖い。
冗談のつもりが大ごとになったら…
真面目で評価されながらも、「いい加減さ」が足りない。もっと言えば、それを敵視していた。「真面目至上主義」みたいなもん。何もうまくいかないわけだ。
テキトーとはよく言うが、漢字に直せば
適当
「〇〇が適当だ」「適当な場所に置いといて」など「ちょうどええ」というニュアンスだ。ある意味、「テキトー」でウケている人はそういうことだ。ユースケさんだって俳優として成果を出している。
「おふざけ」とはほぼ無縁、というより「テキトーなおふざけ」がイマイチわかっていない僕。テレビやYoutubeで見てて、ゲラゲラ笑うときにそういう特性は見てきたはず。でもよく分からん。アクション起こすことの怖さやいい思い出が少ないこともあるかもしれないが。
お笑い好きだし、ラジオ好き、音楽好きに言える話。なのに、なぜかそういうことが自然体でできないでいる。周りにいる「テキトーが分かる人」がめちゃめちゃ愛されてるのも分かっている。
今まで通りにやってればうまくいく
というニュアンスの名言をどこかしらで耳にする。でも、それが僕の場合は何か分からない。「型が無い」だけなのかもしれない。
憧れはあるけれども。