Yukiの人生と東海道新幹線60周年
2024年10月1日、東海道新幹線東京〜新大阪間が開通して60年を迎えた。
「日本の大動脈」という異名を取る利用者数
「のぞみ最大12本/h」という過密ダイヤ
列車死亡事故が0という高い安全性
など世界が羨む高速鉄道として名を馳せる。ニュースでも話題になるし、ラジオでは新幹線に携わった人々に電話で根掘り葉掘り聞いちゃう企画もあった。そんな僕も26年の人生でたくさん世話になった。
新幹線に身近だけど…
幼少期に大阪に住み、高校生まで滋賀に住んでいた僕。大阪のときは地下鉄で10分の新大阪駅、滋賀では普通電車で30分、クルマで1時間の米原駅が最寄りだった。新幹線に身近な土地に住んでいた。
3歳ぐらいのときに母に新大阪駅に連れてこられた僕。しかし、母曰く、新幹線からそっぽ向けていたと聞いたことがある。「みんなのアイドル」みたいな新幹線になぜそんな態度だったかはわからない。僕が思うに、その頃は地下鉄などの身近な電車の方が好きだったというのがある。
大阪〜滋賀で
4歳手前で滋賀に引っ越し。引っ越してからは母方のおばあちゃんに会いに米原〜新大阪間で新幹線を使うことが多くなった。
100系
物心ついた頃は100系が東海道から撤退間近というとき。さよなら記念の装飾が先頭車にあったのは鮮明に覚えてる。2階建てには乗れなかったし、食堂車も90年代で全廃していた。ただ記憶には残っている。
300系
100系が去ると300系がひかり、こだまが独占。CM「AMBITIOUS JAPAN」の影響などで700系全盛期だったが、米原駅に止まることは稀だった。3歳の延長であまりこだわりはなかったし、300系でも満足。個人的にはモーター音が御堂筋線っぽくて好きだった。
700系
2010年代になるとN700系と入れ替わって、700系がよく来るようになった。モーターが静かになったなぁというぐらいでどっちがいいかという甲乙はあまりわからなかった。
N700A
700系が引退し、N700Aや改造のN700系になると加速力とブレーキが向上したように感じるようになった。通勤電車並みと称される加速力は
「昔とちゃう!!」
というよりも、興味が出たり、言語化能力が上がっただけなのかもしれないが。
列車旅にハマって
高校、大学生ではあまり乗らなかったが、コロナ禍を経て、列車旅にハマって、東海道新幹線によく乗るようになった。
「ぷらっとこだま」「EXグリーン早特」などの割引を駆使してよく乗りまくっている。探してみると「21日前予約」や「ホテルとセット」などたくさんの割引がある。年間1000円課金して「EX予約」を使うのもいいかもしれない。
「スゴイカタイアイス」やコーヒーにもハマるようになった。車内販売はなくなったが、自販機で買いやすくなったし、コーヒーも味のラインナップが豊富で無類のコーヒー好きにはたまらない。
大雨のときにはカプチーノも飲んだ。ヨルシカ好きのせいやダイヤ乱れでメドが立ってホッとしてすごくおいしく感じた。その後、『雨とカプチーノ』って曲も聴いて楽しかった。
N700S
この頃になると最新型「N700S」でテンションが上がるようになった。液晶ディスプレイやいいスピーカー、出会いづらいレアさなどであったときは
「S来た、S来た!!」
とむっちゃ興奮。昔、興味なかった僕でもここまでになると、ホンマに「最高傑作」だと思う。いつかは西九州にいるギャルな「N700S」にもご対面して、清楚な東海道・山陽モデルと比較したい。
よく止まる今年
最近は大雨や地震など自然の脅威で止まることが増えたし、修繕用の保守用車が脱線するという前代未聞の事態も起こった。後者はたまたま予定なくて避けられたが、前者は今年2度もあった。進路変更しやすい環境にあったり、ネット予約が使いやすかったりで意外とやりやすかった。とはいえ、何が起こるかわからないものだ。
よくも悪くもたくさんあった60年。個人的にも約四半世紀お世話になってきた。楽しいことがあれば、困難もある。それでも、携わる人たちを見れば
「この人たちなら大丈夫そう。」
とは思う。鉄道員の動きは基本に忠実だし、清掃の効率性は群を抜く。こういうよさを次の60年、100年先も守ってほしいものだ。
東海道新幹線、60歳おめでとうございます。
これからもよろしゅうたのんます。