北大阪急行50年
ご機嫌いかがでしょうか。Yukiです。
1970年に大阪万博へのアクセス路線として開業した北大阪急行電鉄(愛称「北急」)。2020年は開業から50年の記念すべき年で、謎解きゲームやラッピング電車などで50周年をお祝いしています。
僕は4歳直前まで、大阪の豊中市に住んでいて、沿線がここでした。滋賀に引っ越した後も母方のおばあちゃんが北摂に住んでいることもあって時々新大阪から乗って、江坂や千里中央に行っていました。
そんな僕の北大阪急行の思い出や沿線での思い出を綴ります。
北大阪急行とは?
2020年現在、路線は江坂駅(吹田市)〜千里中央駅(豊中市)の5.9km。全部で4駅という短い路線。
規模は小さいながら、千里中央発着の大部分は江坂駅から大阪メトロ御堂筋線に直通、大阪市内を縦断し、堺市のなかもず駅まで乗り入れ、千里ニュータウンと大阪市内を乗り換え無しで行くことができる。
江坂駅〜千里中央駅の少し手前まで、新御堂筋の中央分離帯を走るため、車と電車がレースしてるような面白い光景が見られる。千里中央駅の手前で地下に潜り、千里中央駅に到着する。
1970年の開業時は大阪万博アクセスが目的で会場線と呼ばれる路線が今の千里中央駅の手前から分岐。東に進路を変え、中国自動車道の中央分離帯に仮設の千里中央駅と万国博中央口駅があった。万博閉幕で会場線は廃止、今の形になった。
現役車両は社名の「北」にちなんだ「ポールスター(北極星)」こと8000形と「ポールスターⅡ」こと9000形の2種類ある。阪急電車の子会社ということもあって、木目調にゴールデンオリーブ色の座席といういかにもという佇まい、外観も阪急の茶色と御堂筋線の赤をあしらっている。
かつては、初乗り運賃が“80円“で日本一安かったことでも知られていたが、消費増税や北大阪急行延伸工事の費用のために100円に値上げされている。
2023年度には、千里中央から北に延長し、箕面船場阪大前と箕面萱野の2駅が設置予定。
緑地公園駅
江坂駅から1駅、道路の下を潜ると緑地公園駅にたどり着く。新御堂筋のくぼみに方向別にホームがある駅だ。駅前には北大阪急行本社や名前の由来となった服部緑地、駿台大阪校、駿台の専門学校などがある。
この駅が大阪時代に住んでいた家の最寄りで、駅の東側に住んでいた。
我が家のアルバムを見ると、服部緑地に行った写真や住んでいたマンションの写真がずらり。もちろん、物心がついていないのでこのへんの記憶はない。
しかし、覚えていた記憶もなぜかあった。大学時代にここを訪れ、ぶらりしていてることがあって、住んでいたマンションの外観だけですぐに分かったり、今でも駅前にある池田泉州銀行の看板を見て、旧池田銀行の看板ロゴを思い出し、「あーそうだ!」となったり、、もちろん、服部緑地にも寄って写真の場所を突き止めている。さらに、近くにある家電量販店のジョーシンを見て、「そういえば、ここにコジマがあったなぁ」と思い出し、CM見ていても、あのロゴを見るたびにそう思う。
「一体なんなのか、この記憶は…」
また、住んでいたマンションは坂の途中にあって、景色が良い。ベランダから見た光景は絶景だったことでしょう。
江坂駅
大阪メトロ御堂筋線と北大阪急行の境界駅でここで乗務員が交代している。駅前にはビルが立ち並ぶオフィス街。また、「ワンタンメン」などのインスタント食品でお馴染みの「エースコック」本社は駅から徒歩圏内にある。電車内の広告放送でも最寄りである旨がアナウンスされる。
駅の東側には出入口に直結した大同生命のオフィスビルが建っている。その中で1階、2階の吹き抜け部分は誰でも入れて、緑生茂る屋内庭園になっている。また、カフェでお茶を楽しむことができて、まさにストレス解消に持ってこいの場所だ。
このビルは幼いときに通り抜けたことが何度もあり、エレベーターホールの横が狭くて吹き抜けの独特の空間、オフィスビルで行き交うビジネスパーソン達も記憶に残っている。
数年前に、ぶらりしたときもこのビルに入って、ノスタルジーを感じた。それからカフェでツナマヨ丼を食べながら緑を眺めた。開放感があっていつまでも居たいような良い空間だった。
それ以外にも江坂の公園で遊んだことや東急ハンズ、絵本屋も懐かしかった。
ちなみに、この近くには「江坂MUSE」というライブハウスがあって、かねてから行きたいと思っている。今は徐々にライブが再開しているので是非とも行ってみたい。
千里中央駅
北大阪急行の北の終点で、御堂筋線梅田駅やなんば駅などで見る「千里中央」の行き先は本数が多く、関西ではお馴染み。地元では「せんちゅう」と呼ばれる。
大阪モノレールに乗り換えが可能で大阪空港(伊丹空港)や万博公園方面のアクセスが容易になっている。加えて、バスターミナルも併設されて、高速バスや箕面市内、阪急北千里駅、茨木市方面などへの阪急バスが発着していて、交通の要衝として機能している。
駅周辺にはせんちゅうパル、千里阪急(百貨店)、千里大丸プラザ、ヤマダ電機など商業施設が集積。加えて、「パナソニックホームズ(旧パナホーム)」本社を始めオフィスも数多くあり、「豊中の第2の中心」の様相を見せる。
そんな千里中央では2年前ぐらいに寂しいニュースが報道された。
「千里セルシー閉館」
北大阪急行からモノレールに向かう途中にあったショッピングモールでたくさんの店が入居していた。また、「セルシー広場」というイベントスペースがあって、数々の有名アイドルやアーティストがリリースイベントを開催し、ファンで賑わった。
しかし、老朽化や耐震の問題で閉鎖することとなり、2019年に閉館。約47年の歴史に幕を下ろした。
このニュースを見たときは、馴染みの場所が閉館するということで、あまりに突然でショックだった。千里中央のシンボルと言っても過言ではない存在で、信じられない話だった。耐震の問題はあるにせよ、あんなに栄えていたのに閉めるなんて…という喪失感を感じた。
今後は千里阪急と一体でマンションや商業施設などが入居する複合施設として跡地を再開発すると三井不動産などが発表している。「令和時代のせんちゅう」はどんな姿を見せてくれるのだろうか…
桃山台駅
千里中央の1つ手前の駅で、周辺は住宅街が広がる。この駅の江坂寄りには北大阪急行桃山台車庫に繋がる線路があり、千里中央から回送車が出入りしている。この線路の分岐は新御堂筋の下をくぐるトンネルになっていて、トンネル入口は別世界に吸い込まれるような謎めいた印象がある。
そんな桃山台駅では2年前に動画撮影で降りたことがある。駅の西側、新御堂筋の側道には桜並木があって、3月下旬だったため、非常にキレイな時期に来ることができた。通行人に注意しつつ。三脚を立てて、左に桜、右に北大阪急行と御堂筋線がすれ違うという非常に良い映像が撮れた。また、桜吹雪も非常に良いアクセントになった。
馴染みの列車のアニバーサリー
以前、「新快速50年」と題して、新快速の思い出話を綴ったが、こうやって自分の馴染みのある列車達がアニバーサリーを迎えるのはとても嬉しいし、しかもその中で、歴代の家の近所を走っている2つが同い年で、同時にアニバーサリーは非常に感慨深い。特に北大阪急行は僕の鉄道好きの基礎を築き上げた存在で、ルーツを語る上では無くてはならず、愛着のある鉄道会社だ。
今度、「まるごと北急博」というイベントが実施されるということで久しぶりに北大阪急行沿線を訪問したいと思う。先の「千里セルシー」が今どうなっているかを始め、沿線をぶらりしたいと思う。新たな発見もあるかもしれない。
やや、遅ればせながらではあるが、北大阪急行「50歳」おめでとう。また、会いに行くね。そしてカッコつけかもしれないけど、離れていても大好きだよ。
ストリートミュージシャンの投げ銭のような感覚でお気軽にどうぞ。