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自由だから縛られる

きのう、演技のレッスンを受けていると、どうも声のハリが弱かったり、動きが鈍くなったりした。先生からはこんなことを言われた。

肩甲骨が硬くなってるのが気になった。
動いてもいいのになんで動けないのかなぁ?

その言葉に恐怖はなく、「なんでなん?」と考えた。考えるとこういうところに行き着く。
自由過ぎると縛られるんよなぁ。
正解と完璧ばかりを求め、周りを気にし、遠慮しまくってしまうと自由なのに自由じゃない。

職業選択の自由、表現の自由など自由が尊重されている国で育ったのに、なぜこんなに自由を感じないだろう。年休でトラブったときも権利という自由なようで、代わりを探さないといけない不自由さを感じた。

勉強していても、自分が興味を持ったものしか勉強できない。基礎と言われることに関してはとことん嫌だったし、努力することも勝手に諦めて、親と先生の言うことを守るだけしか脳がなかった。父親が「もっといいとこ行けたのに」とぼやいていたのが今になってわかる。未だに漢検の勉強しても結果が出せず、誰にも言いたくない。

これだけしても、自由が苦手だ。今の自分、縛られる自分に安心している気分もある。縛られ過ぎてしまうのは嫌だから、人目を盗んで、自分だけのリラックスを見つける。それを繰り返しても何にもならないのはわかってるはずだ。本当は縛られる自分が嫌なはずなのに。

それを思ってこんな記事を見た。深い人間関係を作るよりも浅い関係ばかりを作って、逃げられるところを増やす。どこ行ってもトラブルになったら僕は終わった気持ちになりやすい。何したらいいのかの正解がわからなくて「何もしない」というのが自分の正解になってしまっている。

自由にやってるとと言えば、noteに綴ることぐらい。誰にも気を遣わず、添削も自分次第、孤高に自分らしくできる唯一の居場所だ。こういう自由だけはなんとしてでも守りたい。

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Yuki(ゆうき)
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