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あなたになりたい

知らないうちに24歳になった。
もうすっかり大人で、自分の足で歩けるようになった。
ほしいものは自分で買えるし、納税だってする。
世の中の仕組みはまだ完全には理解できていないけれど、なんとか生きている。

23歳は早かった。
社会人2年目になって、仕事もちょっと楽になった。うまくサボる方法もわかってきた。自分でできる範囲が増えるって楽だ。誰かに監視されない状況って本当に良い。のびのび自由にやらせてほしい。

社会人1年目は必死で、変わりゆく物事をなんとか掴んでいるのがやっとで、本当につらかった。
だから、自分しか見えてなくて周りを気にすることもなかった。
2年目になって余裕が出ると、周りも見えてきて余計なことを考える。

「あぁ、あの人みたいになりたいな」

私は幼い頃、役者になりたいと言っていた。物心ついた時には音楽に魅せられていて、音楽家が夢になっていたが、多分、ずっと人一倍「誰かになりたい」願望が強いのだと思う。
今も、自分じゃない誰かになりたいと強く願っている。誰か、「自分以上」になりたいと。

明るくて人気者がいたら、「なりたい」と思う。
人が話す脈絡のない文章をうまく整理できる人がいると「なりたい」と思う。
容姿がいい人を見ると「なりたい」と思う。

おそらくコンプレックスや「自分」に対して私自身が嫌いだと感じているところをまるごと取り替えたいのだと思う。
取り替えられたらいいのにな。本当に。

もちろん「私」が100%ダメだとは思っていない。
ないものねだりなのもわかっている。
なんなら色々なことにおいて、人よりも恵まれている方だろうという自覚はある。
そういうことではないのだ。

ただ、「自分」に自分が満足できていないだけだ。
「誰かになりたい」と思うことでしか、自分の劣等感を消化できないのだ。

でも、最近、やっと「自分って幸せかも」と思えるようになってきていることも事実だ。

多分、それは自分にとっての諦めである。自分に課すハードルがだんだん下がっているから、相対的に幸せを感じる頻度が上がっている。現状に満足できるようになっている。

大人になったな。おとなになってしまったな。と思う。

ずっと悔しくて苦しくて焦ってもがいてきたこれまでだった。今だってずっと何かに焦っている。
「精神的に向上心のない者はばかだ」という夏目漱石の小説の台詞にハッとなり、ずっと何かを学びたいと足掻いていた高校生の時とそこは今もまったく変わらない。

あの頃は定期的に自分の「今現在の居場所」を確かめる術があった。定期テストや受験、レポート等、学んで、それを出力する機会が設けられていた。

今はもう自分がどこにいて、どれが道で、どう進むのか。何もわからない。誰も教えてくれない。
安部公房の「鞄」のように、進むべき道を誰か/何かが決めてくれることもない。

もう私は大人だから。
どれだけおとなになりたくなくても、もう大人だから。

自分のなりたいおとなになりたい。
好奇心や向上心を常に持っていたい。
やさしい人になりたい。
ちゃんと動ける人でいたい。

なりたい自分はどう頑張っても減らない。
でも、「なりたい」の種は自分の中に必ずある。
自分から生まれるのだ。

私はこれからも、「あなたになりたい」と思いながら、自分のことについて考えていくのだろう。
なんて自分勝手なんだろうか。なんて自己中心的なんだろうか。

でも、大人になってしまった私は割と心からこう思ってしまうのだ。
「自分を大切にできない人に他人は大切にできないよ」
「結局人は自分のことが1番大事だから」
と。

あの頃は大嫌いだった言葉を、本心から言えるようになる日が来るとは思わなかった。
こんなにも「変わってしまった」のは、あの頃から1周ほど人生を進んでしまったからだろうか。それとも、こんなに「変わった」のは、あの頃から12年、ちゃんと生きてきたからだろうか。

私はこれからも寿命の限り生きるのだろう。
しんどい時は軽率に「死にたい」という単語を使ってしまう悪いクセはまだ抜けていないが、多分死なない。
こうやって言えるようになったのも、きっと過去の私がその瞬間瞬間でいっぱい考えて生き抜いてきたからだろう。

そして、私は今日からもまた、自分のことについてたくさん思考し、他人を羨み、自分を省みるのだろう。

これまでの私を振り返って確信を持って言えることは、私は折れないということと、私は考える人だということだ。

思考が捻くれていたとしても、ズレていたとしても、何かを常に考えている。
だから、今もこの先も、何かに躓く度にまた考えるのだろう。

時には自分勝手に他人を振り回しながら自分の道を歩んで、
時には誰かに頼りながら自分を立て直して、
時にはどこかのあなたのために自分を差し出すのだろう。

私は、意外とそんな自分が嫌いではない。
他人に迷惑をかけることはあまり褒められたことではないけれど、たまに、少しだけなら許されてほしい。

誰かになりたいという願望は尽きぬことはないけれど、歳をとるごとに「自分でよかった」とも思えるようになってきた。

24歳になってはじめての夜、
こんなことを思う夜明け。

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