まるを消し切れなかった


 シューベルトは思わず痛さに悲鳴を上げた。眼鏡を探していて机に頭を打ち付けたのだ。
 その拍子に目の前になにか落ちてきた。コツン、という軽い音は、シューベルトには聞き覚えのあるものだった。
 灯台もと暗しとはこのことですか、と独りごちながら手探りで眼鏡を探し当て、なんとかかけたが、視力が戻っても、シューベルトの考えはまとまらなかった。
 自分では、眼鏡を押し上げた記憶が全くなかったからだった。
 眼鏡がなければ、視界がまるっきりぼやけるので、シューベルトは眼鏡の扱いには慎重であった。というより、自分に対しては無頓着なところがあっても、きちんと掃除をしたり、ものを丁寧に扱うのがシューベルトであった。

 首をひねりながら、皆のところに行くと、一様に困惑した表情を浮かべていた。
 なんでも、円形のものが全て消えたらしい。
「これではギョーザーが作れん」ベトがうめく。
 シューベルトの身辺からは丸いものは消えてない様に思えたが、皆は何故かシューベルトを嫌疑から除外しているようだった。
 と、なると。
 残されたのは、彼だ。

 その彼―ショパンもあっさりリストが言う「愛情焼き」というお好み焼きにまんまと釣られて姿を現し、その隙にショパンの部屋に入り込んだ被害者達に証拠を突きつけられ、最終的にはショパンの仕業だとあっさり判明したのだが。

 それにしても、とシューベルトは悩んだ。
 何故私は被害に遭わなかったのか、持ち物が少ないせいか、もしかして私の存在が薄くて、ショパン君に忘れ去られたのではないか・・・・・・とややネガティブな想像に陥りながらも、定位置で寝付いたシューベルトだったが、翌朝疑問は解けた。
「お前の眼鏡も四角い!」
 一人小さい雲が被さって雨に濡れている、どこかシュールさを漂わせているベートーヴェンが絶叫するに及んで、シューベルトは漸く、自分の眼鏡が身近な「丸いもの」であることに気づいた。
 同時に、何故眼鏡が知らぬ間に頭上にあったのかも分かった気がした。
 
「どうして私の眼鏡を隠さなかったのです」
 ショパンが妨害を試みたにも関わらず、ベートーヴェンは結局月光のムジークを出し、結局はそのおかげでショパンの悩みも解決した後に、シューベルトはショパンの部屋に行って、背中に話しかけた。
 ショパンはこちらを振り向くこともなく、スマホから手を離さない。だが、微かに、本当に微かに肩が揺れたのをシューベルトは見逃さなかった。
「丸いものを隠そうと思ったときに、私の眼鏡は隠さなかったのですね。ただ頭の上に押し上げただけで」シューベルトは構わず続けた。

「そこがショパン君の優しさですよ」

 シューベルトからの、率直な褒め言葉に思わずショパンは振り返る。
 シューベルトは微笑んでいた。
「結局は、丸いものを隠しきれなかったわけですね、ありがとう」
 
 どうして礼を言われるのだろうか?多少は迷惑をかけたという自責の念があったショパンなので、シューベルトの言葉は意外だった。
「私の眼鏡を、隠さないでおいてくれたからですよ」
 それはやり過ぎだと分かっていたんですねとシューベルトは優しく言った。
「特にシューには迷惑かけられてなかったし」
 ショパンはぼそぼそつぶやいた。その他のメンバーに対しては普段からいくばくかの不満があったらしい。
「忘れられていたのではなく、私の存在をそうとらえてくださったんですね」
 シューベルトの声には喜びがにじんでいた。

「シューもありがとう」
 ショパンがぼそっとつぶやいた。

「僕は、僕たちは、自分がいいと思うものを作ってきたんだ」

「そうですよ」
 ショパンの小さい、しかし固く意思を秘めた声にシューベルトはほっとした。
「だからって、ネットでフェイクニュースを流すのは・・・・・・」
「止めとく」
 どうせバレバレだし、流したら余計恥ずかしかったかも。
「確かに。逆に馬鹿にされて終わりですよ」
「言いたい奴には言わせておくさ」
 ショパンからその言葉が出たことにほっとして、シューベルトはでは、と部屋を出ようとした。

「あの」
 今度は、ショパンがシューベルトに声をかけてきて、シューベルトは振り向いた。

「今朝、僕にかけたオレンジジュースで、キーボードが駄目になったんだ」

 買い直すから弁償して、という声が聞こえる前に、シューベルトはドアを閉めた。

 

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