画面の向こうには人がいる
Twitterをやめてから、私は元から使っていたFBに戻った。
FBも様々な使い方があると思うけれど、私は実際に知っている人、あるいはあったことはないけれどSNSなどネットを通じて相当話し込んだ事がある方と繋がるようにしている。見知らぬ人と友達になってほしいとリクエストすることはないし、友達の申請が来てもならない。
そんな身内間があるところに書くので、私は投稿するときも「読んで面白かった」とか「役に立った」とか、読んだ側がプラスの気持ちになれるようなものを投稿するようにしている。
友達だからこそ何でもさらけ出すのではなく、友達だからこそ人間関係を大事に続けていたいから、気を使うのだ。
Twitterで疲れ切ったのは、「自分の感情の吐露にばかり注意が向き、読んだ側がどう思うかを考えない投稿が多いな」と思ったことも一因。
私には、他人のストレスの吐き出しを目にするのはしんどかった。
それこそTwitter上で「思いを叫ぶのは海に向かってさけんでいるようなもの」ツイートを見かけたことがあって、それにいいねが沢山ついていた記憶があるけれど、私はそれは違うと思った。
Twitterで感情を吐露するのは「渋谷のスクランブル交差点で叫んでいるのに近い」と考えている。
渋谷のスクランブル交差点の真ん中でいきなり、誰に向けてでもなく自分の感情を吐き出す。それに気がつかない人もいるだろうし、気付きながら無視する人もいる。あるいは面白いね!って声をかけてくれる人がいるかもしれないし(いいね)、こんな人がいたよーって他に伝わるかもしれない(リツイート)。更にはその発言内容に眉をしかめる人がいるかもしれないし、「ここでそんなことを言わなくたって」って、発言という行為が気に入らない人だっているかもしれない。
そういうのを考えずにつぶやきたい人、気にしないという強い気持ちを持つ人がTwitterを長く続けられるのかもしれない。これはどっちがいい悪いではなく、人には向き不向きがあると言うことだろう。
そして私には向かなかったし、人の疲労を目にする度こちらもいちいち疲れた。
人間向かないことをやりつづけるものではないね。Twitterしている暇があったらプロの作家が書いた本でも読んでいればよかったと今でも後悔している。
FBに文章を書くのは楽しい。楽しさを分かち合いたいと思って書いているから。私の友達もおおむねそんな感じだし、友達の近況を知るのは嬉しい事なので、反応に困ると言うこともない。
そしてそんな友達だからこそ、しんどいときはこっそり話してくれて、そういうときには全力で応援したい気持ちになるのだ。
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