これが私の声、私の歌


 祭終了後も学校にクラシカロイドが出入りすることを、歌苗はやきもきしていたが、意外と学校では受け入れられており、歌苗の予想を裏切って学校ではクラシカロイド達は(ぎりぎり)常識の範囲内の行動をとっていることから、歌苗も気にするのを止めた。ほかに気にしなくてはならないことが多いのだ。わざわざ心配の種を自分で増やす必要もないし。
 しかも教師達は、クラシカロイドが生徒達に受けがいいことと「音羽の家に大人がいるなら安心だ」との喜びから、積極的に彼らを受け入れているようだった。どうやら保護者もなく一人で大きな館に住んでいた歌苗の事を教師達は密かに心配していたらしかった。そんなこんなで、クラシカロイド達が学校に出入りすることは、いつの間にか日常風景となっていた。
 
 放課後、歌苗が学校に迎えに来たベトと廊下を歩いていると、音楽室の方からピアノの音が聞こえてきた。非常に音色が複雑ながらも、くっきりとして、鮮やかで、音楽に詳しくない歌苗にもすぐにそれがクラシカロイドの誰かによるものだと分かった。
「もしかしてシューさんかな?今日生徒に相談事を持ちかけられたと言っていたから、その後音楽室に寄ったのかも。」
「いや、この弾き方は違うな…相当文化力強い。しかも奴なら歌い出すだろう。かといって小娘の年代で出す音でもない。我が館であのような弾き方をするのはリストぐらいか?」
「我が館って何ですか!あそこはわ・た・し・の!家です!」
「うるさい小娘。ピアノを聴いていたいと思わないのか?」
「はあ、何言ってるんですか、一体誰が余計なことを・・・」
 
  ベトが言ったとおり、弾いていたのはリストだった。曲はシューベルトの歌曲「ます」。
高音と低音が奏でる伴奏の間を、右手と左手で交互に自在に主題を紡ぎ出す。ピアノのそばで鍵盤を見ながら聴いていたシューベルトは、それこそ川の流れを闊達に泳ぐますのように旋律が流れると感じた。非常にのびやかだ。演奏が終わるとシューベルトは一抹のうらやましさを感じながらも恭しく一礼をした。
「リスト殿。光栄です。私の曲をピアノで表現してくださるなんて。しかも私が思い描いていたとおり…ああ、私もここまでピアノが弾けたなら!」
「本当にシューの歌綺麗だわ。しかも音楽への愛にあふれてる!私、たくさんピアノの曲に編曲したのよ。この間の『魔王』だって。あとは『冬の旅』でしょう、『野ばら』もね。数え切れないくらい。あら、私いくつ作ったのかしら。」
「私はみんなに口ずさんでもらいたくて作曲したのですが・・・。」
「そうよね、シューの歌、本当に美しいんだけど、やっぱり私が歌っても声楽家には負けるじゃない?」
 リストはウインクした。そうなったら、ピアノに歌わせるしかないでしょう?
「シューの歌、その素敵を出すために美しく歌うには、私の歌声じゃあ足りなくて、私が歌っても女性は惚れてくれなかったのよ。だけどピアノで弾いてみせたらそれはもう人気で…あ、人気だったのは私ね。」
「女性にもてるためだったんですか…。」シューベルトはややがっくりした。
「あら、でも私みたいに歌うより演奏する方が好き、という人にもあなたの曲が広まるのよ?感謝してもらってもいいくらいじゃない?」
 
「見事な編曲だ、リスト。シューベルトの曲の良さを表現しきっている。」
「先輩!」
「あら、ベトに子猫ちゃんじゃないの。」
「先輩に褒めていただき、なんと言っていいか・・・」
「あら、ベトは私の編曲を褒めてくれたんじゃない?」
「リストさん?どうして学校にいるんですか?」
「実は、シューの音楽が聴きたくなって。シューに歌ってもらってもいいけど、そうすると魚になっちゃったり、いろいろ言われちゃうでしょう?だから自分で弾こうと思って。」
「学校の先生、今日リストさんが来てること知ってますか?挨拶しておいた方がいいかな。」
「先生?私を見たら喜んでくれたわよ?私がいつもお世話になっておりますってちゃんと保護者みたいに挨拶しておいたから安心してね。」
 多分それだけじゃない。リストが学校にいると空気が華やぐからだ。あと谷間。歌苗は直感した。
 「それは分かりましたけど・・・どうしてここで弾いているんですか?」
「だって、音羽館には残念ながらピアノがないのよ。」
「お前ならピアノくらい、すぐ買えるんじゃないか?」
「ねえ、どうしてあなたまで学校にいるの?シューのように用事があるわけでもなし、私のようにピアノを弾きに来たようでもないし、まさか餃子を焼くわけにもいかないでしょうし。」
「小娘が今日は部活の後に買い物に行くと言っていたのでな。荷物が多くなるとぼやいていたし、道も暗くなるだろうからこの俺が迎えに来てやったのだ。」

 あらあら、子猫ちゃんも考えるわねえ。
 先輩、嬉しさがにじみ出ちゃってますよ。
 
 二人は密かに考えたが、それぞれ胸の奥にしまっておいた。学校での歌苗の立場を考えたのと、二人の微妙な関係をそっとしておきたかったからでもある。

「リストは、演奏家、作曲家としても有名でしたが、多くの編曲をしたことでも知られています。」
 説明するパッド君とともに現れたのは奏助だ。きっと歌苗達と同じく、ピアノの曲に惹かれた…というより、パッド君が教えて、奏助がやってきたのだろう。
「え、編曲より自分で一から作曲した方がすごくね?おれ作曲したし!」
「だから奏助はポンコツだというのです。リストの作曲も今まで残るほど、素晴らしい曲ですが、編曲の難しさを知っていますか?奏助、あなた例えばモーツァルトの曲、自分なりにアレンジして打ち込めますか?」
「やってみなきゃわかんねーよ!大体モツの曲、ムジーク出したやつ以外知らないし!」
「少年よ、完璧な再現は完璧な理解なくしては得られないものだ。」
「ベートーヴェンの言うとおりです、奏助。曲の美しさ、曲が何を伝えたいか、根本から分かっていないと、編曲どころか、再現もできませんよ。」
「うるせーよ!」

「でもリストさん、本当にピアノすごいですね…表現がありきたりですけど。ピアノの上を手が飛んでいるみたい。」
「リスト殿はピアノの魔術師と呼ばれていたそうですからね、大家殿。私もここの生徒に音楽の教科書を見せてもらいました。」
「だから時々、技だけが評判になっちゃったこともあるのよ。」
 リストは少し寂しそうに目を伏せた。
「私はピアノの可能性を追求したかっただけなのにね。ピアノでどんな表現をできるか追いかけているうちに、いつの間にか技術が凄いと言われるようになってしまった。でも私は技術を追求したのではないの。ピアノでどこまで表現できるかやってみたかったのよ。」
 さっきまで「ます」を弾いていた手で、今度は「魔王」が響き出す。嵐がたたきつけているような三連符が絶えず流れながら、こちらも両手で子ども、父親、魔王の声を歌う。音楽室にはいきなり嵐が吹きすさぶ山に取り残されたような、激しく、恐怖が混じる旋律が響いた。

「それに、私は私の先を歩んでいた人の曲も尊敬していたの。尊敬を表すには、私にはピアノで表現するのが一番だと思えたのよ。だって、その人達が築いてきたものがあったからこそ、私はピアノに出会って、指導してもらって、ピアノで表現することができたのよ。感謝してるわよ、ベト。そしてシュー。あなたのロマンティックさは本当に絶品で、甘くて、うっとりするわ。モツとは違う個性だから、自信もって?」
「リ、リスト殿!私は別に奴の事など・・・!」
 ぐぬぬとなっているシューベルトはいつものことなので、そのままにしておいて歌苗はリストに質問してみた。
「そういえば、モツの曲もピアノの曲にしたんですか?」リストの編曲という仕事に興味がわいてきたからだ。

 人が作った曲を新たに編み直す。リストさんじゃないけれど、きっとリストさんは曲に対して愛があったからだよね…歌苗はリストが愛を叫ぶ方法が一つではないことを感じた。
「モーツァルトのは、有名なところで『アヴェ・ヴェルム・コルプス』、あとは『ドン・ジョヴァンニ』などの主題を生かしたものでしたか?フレーズをいろいろ組み合わせたものです。『フィガロの結婚』や『ドン・ジョヴァンニ』を題材にしたものもありましたね。」
「パッド君、ポンコツの所にいるのはもったいないんじゃない?本当に優秀ね。どう、もっと実力が発揮できそうな、私の所か、チョッちゃんの所に来たら?」
「ちょ、リストさん、ひどすぎ!」

「そういえば、ショパンさんは、リストさんと同じ時代ですよね。」チョッちゃんの名前が出たところで、歌苗が話を振る。
「彼のピアノ曲は、編曲する必要がないわよね。だってピアノが彼の声だったもの。チョッちゃんの曲を弾くと、チョッちゃんが何を伝えたいのか、聞こえてくるわ。どんなにポーランドを愛していたかとか。」
 リストは、リストが初見では弾けなかったと言われるショパンのエチュード「革命」を弾きながら、自分でも音色に耳を澄ましているようだった。
「チョッちゃんと、同じ時代を生きられたのは本当に幸せだったわね。チョッちゃんは、本当にピアノに集中していたのよ。彼ほどピアノに真剣に向き合っている人はいなかったし、私もその姿勢にいろいろ教えられた。そしてピアノでチョッちゃんの魅力を十分に発揮していたから、その魅力に取り憑かれた人たちが後になって逆に管弦楽に編曲したのね。当時の人たちはチョッちゃんの才能をどれだけ理解していたかしら。」
 リストは、何かを思い出しているようだった。その表情は懐かしさや、寂しさや、わずかな哀しさが混じっているような複雑な表情だったので、歌苗はそれについては聞かずに、全然違う方向に話題を変えることにした。
  
「音羽館にグランドピアノ入れようかな・・・そしてみんなに弾いてもらってコンサート開けば、家の維持費なんとかなるんじゃない?」
「おい、金の話はいいだろう。」ベートーヴェンが割り込む。
「そうそう、ベトのもたくさん編曲しておいたわよ。だって素敵な曲ばっかりで、演奏したくなっちゃうんですもん!交響曲全部と、いくつかピアノ協奏曲と、『アテネの廃墟』とか。」
「はあ?俺の交響曲をピアノ一台で?というか、協奏曲ってピアノとオーケストラのを?」
「交響曲?交響曲ってオーケストラの曲じゃないですか?ピアノ一台で、音の違いって出るんですか?」
「子猫ちゃん、ピアノは、どんな楽器の音でも、いいえ、それどころか歌声までも再現できるのよ。さっきのシューの曲のように。」
 そう言って弾きだしたのは、ベートーヴェンの交響曲第9番第四楽章。二本の手でソプラノ、アルト、テナー、バスを弾き分けていき、そこにオーケストラの旋律も混じり、合唱と管弦楽がピアノから響く。
「すごい!これってオーケストラや、合唱が入る曲ですよね?日本の年末で定番だし。これもピアノで表現できちゃうんですか?あれ、テレビで見ると合唱の人とかもすごく多かったのに・・・でも演奏できちゃうなんて凄いです!」
「あら子猫ちゃん、私のピアノ気に入ってくれたかしら?私に惚れちゃう?」
「元は俺の曲だろうが!」
「あら、嫉妬は見苦しいわよ、ベト?あなたの後輩を見習って、私にお礼でも言うくらいの余裕を見せて欲しいわあ。」
「確かにこのピアノ曲は俺の旋律を見事に再現していると言い切れる。もちろん編曲の技術も、演奏の技術も見事だ。それは認めよう。しかし!ここで小娘の称賛を受けているのがなぜリストで俺じゃないんだ!」
「でもリストさん、どうしてピアノ曲にしようと思ったのですか?ベトの交響曲、もとの管弦楽も十分迫力あるし、かっこいいし…あ!リストさんの編曲やピアノが悪いって言っているわけじゃないんです!でもどうして編曲しようって思ったのかなって。」
「あら、子猫ちゃん、ベトのもとの交響曲聞いたことあるのね?ベトの音楽に興味があったなんて愛ね…!あらやだベト、ちょっと本当に体内にピンクが流れているんじゃない?顔中ピンク色なんだけど。そうそう子猫ちゃん、ピアノの曲にしておけば、オーケストラを呼ばなくても、ピアノ一台で楽しめるのよ!みんなが気軽にオーケストラを演奏できるの!」
「いや、ピアノがあっても弾きこなせる人少ないと思いますけど…。」さすがの奏助にもリストの凄さは伝わったようだ。
 
 「でも、ピアノって、いい楽器ですね。こんなにいろいろな曲を演奏できるなんて。なんだかオーケストラの楽器の音色も聞こえてくるみたいですし。」
 「子猫ちゃんのその言葉、最高の褒め言葉だわ!」
  リストは歌苗に大きくほほえみかけ、高らかに第九の第四楽章を歌い上げる。
 
 今を生きるあなたに、200年近くも前からの、私のピアノへの愛情が伝わっているなら、私の仕事は成功したと言える。
 私はピアノを通じて世界に愛を語りかける。ピアノで音楽への尊敬と愛を謳う。
 
 だから、これ(ピアノ)が私の声、そして私の歌。

 壮大な旋律が、華やかでドラマチックに奏でられ、夕方の音楽室をmusikで包んでいった。
 
「ベト、今日は調味料買うから重いの。手伝ってくれてありがとう。助かった。今日はリストさんのピアノでみんなの曲も聴けたし。でもグランドピアノ買うにはお金が…みんなが家賃払ってくれたら…」
「あの演奏聞いておいて感想それか?!」

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