声を聞かせて

 俺がいつものとおり、台所で鍵を掛けて至福の一杯を用意し、水筒に詰め、マイベストポジションへ赴こうとしていると、小娘が飛んできた。
「また公園に行くんですか?あそこは子どもが怖がるからだめです!というか私の水筒返してください!」
「俺が珈琲を飲むのに使ってやっているのに何の文句があるのだ、小娘」
「ギョウナくんグッズ大好きなんです!大事にしているのに、もう!それから公園は禁止です!」
 
 小娘は俺から水筒を取り上げ、ぷりぷりしながら出て行った。
 あのキャラクターのどこがいいのだ?ギョーザーは認めよう。しかしウナギ・・・・・・語尾に「ウナ」をつけることくらいしか妖精っぽさがないではないか。

 行く当てをなくした俺がソファで唸っていると、暇人どもークラシカロイド達が寄ってきた。大方俺と小娘の諍いを聞きつけて、面白がっているのだろう。

「大家さんの好感度上げるなら、家賃入れれば?」相変わらず、ショパンは物静かなようで的確な一矢を放ってくる。
「流石の先輩でも、大家殿には弱いようですね」
 待て、シューベルト君。小娘に弱いとどうして分かるのだ?というかショパンも。なぜ俺が小娘の好感度を上げたいと分かっている?
 しかも他の奴らーリストとヴォルフも頷いている。
 そして、突拍子もないことを言い出したのはやはりあいつだった。

「それじゃあさー、ルー君がギョウナくんになってみればわかるんじゃない?」
 
 は?
 
 ヴォルフは何を言い出したのだ。何とかと天才は紙一重と言うが、とうとう紙一重の差を転げ落ちたのか?「ギョウナくんの気持ちが分かれば、歌苗にアピールするポイント分かるんじゃない?」等とも言っている。
 本気で心配している俺に対し、ショパンがスマホを差し出してきた。
 そこには「あなたも町おこしに参加しよう!」の文字が踊り、小娘が好むあのキャラクターが映っていた。
「町おこしの一環として、ギョウナくんが公園や、商店街に出没して、人々にふれあってもらおう!という企画があるらしいのよ」とリストが説明を付け加えてくれた。

 つまり、ギョウナくんの着ぐるみを着て、町に出て、人々とふれあうという仕事があるらしい。
「普通ね、着ぐるみ着る人って、背が低い人がなるらしいけど、半分ウナギだから、背が高くて着ぐるみ着てくれる人を募集しているらしいのよ。ベトなら背が高いし、体力ありそうだからぴったりじゃない?私が手配してあげるわ!」

 そんな敏腕マネージャーのようなリストに引きずられる形で、事務所へ赴き、あれよあれよという間に話が決まって、俺はギョウナくんのバイトをすることになった。そこで数日研修を受けて、心構えや、着ぐるみを着て動くときのコツや注意点を指導してもらい、とうとう町中に出ることになった。ここまでは順調だ。俺としてもいろいろこだわりを持ちたかったのだが、敏腕マネージャー、ではなかった、付き添いのリストの見張りが厳しく、小娘の名前を出して脅してくるので、結果的にスタッフやリストの言うがままになってしまった。

 まずは公園に行くという。なんと言ってもギョウナくんは子ども達に人気だ。そこで子ども達と遊び、その保護者にも気に入ってもらおうという作戦、らしい。スタッフの車に乗せられて、車中で注意を聞いているうちに到着し、公園の近くで降ろされた。
 俺は着ぐるみの姿で公園に現れた。すると、子ども達の「ギョウナくんだー!」という歓声に迎えられた。駆け寄ってくる子ども達も見える。
 なぜか知らないが、公園に行くと子ども達はいつも俺を見て逃げ出す。そのたびに小娘が来て、子ども達に謝り、俺を館へ引っ張っていく。
 しかしこの格好だと、どうだ。子ども達に大人気である。
 俺とギョウナくんの違いなぞ、実はあまりないと思う。黒い衣装に赤のアクセントの出で立ち、そしてギョーザーに使命感を感じている。
 しかし、手が動かんというのは大きな違いかもしれん・・・・・・!転んだときにどうすればいいのか。運命を受け入れて横たわっているしかないのか。これではタクトを出してムジークを出すこともできないではないか。
 スタッフの言葉を思い出す。
「子どもに愛される存在ですからね。着ぐるみだから顔の表情が分からないだろう、ということはありません。仕草一つでも、気持ちが伝わるものです。そこに気をつけて仕事してくださいね」
  
 暑い。熱で溶けそうだ。しかもこの現代のアスファルトは一体何なんだ。熱が足下からも昇ってくる。頭は太陽、下は照り返しでもう俺がギョウナくんなのか、ギョウナくんが俺なのかも分からない。
 それでも運命に打ち克つため、ゆっくり公園内を前進し、子ども達に15度の角度で頷いてやり(22度でお辞儀したら頭が転げ落ちる)、喜んだ子ども達に抱きつかれたり、攻撃されたりしても必死に踏みとどまり続け(バッハよ、ドッジボールでも戦い抜いて鍛えられた俺の勇姿を見るがよい!俺はお前のように子どもに押し倒されて、運命にひれ伏すことはしないのだ!)、やがて子ども達は、一通り俺にじゃれついて、親に写真を撮ってもらったことに満足したのか、自分たちの遊びに戻っていった。
 ふうと一息つき、ふと道路の方を見ると、公園の外の道を、買い物のメモを見ながら歩いてくる小娘の姿が見えた。
 
 小娘の出で立ちは、いつものホットパンツ姿だ。やけに涼しそうではないか。俺は断じて生足が眩しいなんて思っていない。ただその素肌を出しているのが羨ましいだけだ。そういう目で見ているわけではないからな。
 思わずじっと見ていると、視線が合ったわけでもないのに、小娘はふとこちらに振り向き、普段俺たちに見せないような笑顔で、俺に駆け寄ってきた。
 いや、俺にというよりギョウナくんに駆け寄ってきたのか。

「あっ、ギョウナくん!私ギョウナくんの大ファンなんです!グッズも集めてて、夜はクッション抱きしめて寝てるし!よかったら握手させて・・・・・・あ、手はなかったですね・・・・・・」
 しゅんと落ち込む小娘を見ていると、なにかしてやりたくなり、とりあえずベンチに座るよう促してみて、俺が先に座った。
 小娘には、俺の意思が伝わったようだ。仕草で伝わる。スタッフの言うことは正しかった。

「今日は変なおじさんいないから思い切り遊べるねー!」「ギョウナくんでよかったー!」離れたところから子ども達が遊ぶ声が聞こえる。何、変なおじさんが公園に出るのか。それは子ども達も困るだろう。
 そんなことを考えていたら、その子ども達の声を聞いた小娘がふっとため息をついた。
「私、成り行きで家の管理を任されていて、いろいろな方が住んでくださっているんですけど、その同居人には困ってばかりで…家の中をローラーシューズで走ったり、火炎放射器で料理して家の中が焦げたり。公園でも噂になるし」
 小娘はどう考えても俺たちのことを話しているだろう。思わず「そんなつもりではない!」と反論しそうになったが、仕事の始めに言われた「ギョウナくんは愛される存在。顔が見えなくても気持ちは伝わります」の言葉を思い出し、ぐっとこらえて、話を続けろという風に頷いてみた。
 小娘の本音を聞いてみたい気持ちも、あった。

 その姿勢が伝わったのか、小娘はふとこちらを見てかすかに笑った。
 優しい微笑みだった。
「でも、その人・・・・・・達にもいいところもあるんですよ。うちが差し押さえになって、取り壊されそうになったら、不思議な力で助けてくれて…」
「で、助けてくれた後に、『無事か、小娘』って声を掛けてくれた人がいて。もうその声を聞くと、心配されるのなんて久しぶりだし、すごく安心して、思わず泣いてしまいました」
 その時を思い出したのか、小娘はいきなり涙ぐんだ。
「なんだか今ギョウナくんに話していると、同じような安心感があって・・・・・・普段は迷惑!って思っているのに、いざという時に頼りになるの。ギョウナくんがその人と似たような色だからかな?」
 えっ、と思ったときには、小娘は俺をぎゅっと抱きしめてすすり泣いていた。
「出てけ!なんて怒鳴っちゃうこともあるけど、いつも戻ってきてくれる。もしかしたら私の方がその人に甘えているのかもしれないですね」
 今では、その人・・・・・・その人達にずっと住んでもらいたいなと思ってます。

 そう言ってすすり泣く小娘の話を聞いて、俺は頭が沸騰しそうだった。
 これは俺のことだろう。自分に都合のよすぎる考えかもしれないが、話の流れから考えてもそうに違いない。
 くっ、こんな時にギョウナくんに腕がないのが恨めしい。腕があったら抱きしめ返すのに。
 熱い。もう暑い、ではなく熱い、だ。混乱と嬉しさで体の中から熱が熾っている。
くらくらするほどだ。くらくら・・・・・・え?

「きゃーっ!」
 背中に痛みが走り、小娘の悲鳴が聞こえてきた。お、起き上がれない・・・・・・手が使えないから、足をばたばたさせて起き上がろうとするがうまくいかないし、力もなんだか入らない。全身に汗を掻いている。
「誰か-!スタッフの方いらっしゃいませんかー!?・・・・・・とりあえず、着ぐるみ脱いだ方がいいですよね・・・・・・頭だけでもとれるかな・・・・・・失礼しま・・・・・・え???ベト?!?!?」
 なんか小娘が言っていた気もするが、俺の意識はそこで途切れている。


 目を覚ますと、音羽館のソファの上に横になっていた。おでこの上がひんやりする。氷嚢か。いずれにしろ、昼から寝ているのは俺の性分ではない。起き上がろうとする。
「寝ていなさい!」
 いきなりリストの鋭い声が飛んできて、ソファに沈められた。相変わらず凄い力だ。というより、俺に力が入らない。
 気がついたら、音羽館のクラシカロイド達が俺を囲んで見下ろしていた。
「ベト、あなた着ぐるみのバイトをしている時に、熱中症で倒れちゃったのよ。スタッフさんがここまで数人で抱えてきてくれたわ」と、リストが状況を教えてくれた。
「スタッフさん、大変そうだった。ベト大きいし」と、ショパンが付け加える。口は悪いがスポーツドリンクを差し出してくれたのでありがたく受け取る。
「大家殿がたまたま倒れたところに通りかかっていたようで、助かりました。すぐに音羽館に案内できたようで」とシューベルト君がほっとしたように言うが、その言葉に引っかかりを感じた。
 たまたま通りかかった?
 
「・・・・・・小娘は、どこだ」
「歌苗はね、スタッフの人を送り出してから、急に力が抜けたみたいで、2階に上がっていったよ。今、部屋にいるんじゃないかなー?」とヴォルフがちらと階上に目をやる。
「で、ギョウナくんの気持ちは分かったの?」
 ヴォルフは興味津々で聞いてくるが、分かったのはギョウナくんの気持ちではなく。
 小娘の。そして俺の。

「・・・・・・ちょっと、様子を見てくる」
 まだ体はふらつくがそうは言っていられない。氷嚢とスポドリをテーブルに置き、ゆっくり立ち上がった。
 クラシカロイド達は、今度は止めなかった。
 
 小娘の部屋をノックする。返事がない。
「小娘、いるのだろう?俺だ」
 そう言っても返事がない。
「礼を言うだけだ。開けてくれ」
 そう言うと、やっと中で足音がして、ゆっくりと、細くドアが開けられた。
 しかし、小娘はうつむいたままだ。そのままくるりと部屋の中に戻っていき、力なくベッドに座り込んだ。俺はベッドに近づき、腕組みをして立ち止まった。端から見るとまるで苛めている様だが、俺がベッドに座り込むわけにもいかない。

「小娘、俺は気を失っていたのを、お前がスタッフの人に指示してここまで運んでくれたらしいな。礼を言う」
 俺が口を切っても相変わらず、返事がない。
 とはいえ、俺も流石に察しはつくので、しばらく黙って小娘の出方を見ることにした。

 どれくらい時間が経っただろうか。
「さっきの・・・・・・全部聞こえてた?」
 と小娘は小さな声で、ためらいがちに聞いてきた。
「ああ」
 否定しても仕方がない。
「もう、恥ずかしい!何でギョウナくんになってるの!」と小娘は叫んで、うつむいたままギョウナくんのクッションを投げつけてきたが、余裕で受け止める。
 しかし。
 小娘が困っているのを見たくはない。
 俺は腹を括った。

「もし、お前が望むなら、忘れてやる」
 
 俺の声に、小娘ははっと顔を上げた。

「あれが咄嗟に出た愚痴で、本音ではないというなら忘れてやる」

 だが。
 俺は小娘の視線を捕らえ、しっかりと目を見つめたまま続ける。

「もし本音だと言うなら…俺も、お前の本音に応えよう。どうする」
 
 歌苗。

 いきなり名前を呼ばれたことに驚いたのか、小娘の目は大きく見開かれた。

 これは、俺の賭だ。こんな形で気持ちを伝えるとは思っていなかったが、ここまで来たら切り開くしかない。
 どうなる・・・・・・どうする。

 俺の決意が伝わったのか、小娘の目にも一瞬力が宿った。
 
「さっきのは・・・・・・単なる愚痴、じゃない。本音、です」
 混乱しているのか、敬語が混じったりしているが、俺はしっかり小娘・・・・・・歌苗の本心を受け取った。今度は歌苗が、意志の強い視線で俺を捕らえた。
 それぞれの心が、お互いに通じたのだ。

 近寄って、そっと手を取ると、歌苗が立ち上がった。
「まさかお前が俺たちをそんな風に考えていたとは知らなかったぞ?」
 ちょっとからかうように言うと、歌苗は赤くなってはにかんだ。
「だって言っていないもん。でも、これからも、よろしくお願いします」
 そう言って歌苗が笑ってくれる。

 今は手が自由だ。ギョウナくんではなく、俺は俺でよかったと心底思いながら、俺は歌苗の細い体をそっと抱きしめた。

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