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質問:日本の武道と中国の武術、その相違? 元『武術』編集長生島さんに聞く。

<リンヤン>
 私は偶然なきっかけで中国伝統武術の八卦掌とご縁を得ましたが、自分の流派のことしか知りません。日本の古武道のこと、ほとんど無知でした。
 自分から見ると、日本の合気道は八卦掌とは似ていると思うけど、ほかの流派はどうでしょう?
 日本の武道と中国武術、両方とも経験している方は、どう見ているのか?とても興味があります。
<生島先生>
 日本では1960年代ころまでは江戸時代の武術を色濃く受け継いだ武術家が少ないながらも存在しましたが、それ以降は形骸化が激しくなってしまいました。中国では90年代頃までかなり多くの本物の武術家が残っていたのです。
 この約30年ほどの時間差と中国の層の厚さにより、中国には形骸化していない武術が多く残っているように思います。
 日本武道はその代わりに競技化を進めて、その点では発達しました。競技化、スポーツ化した武道の長所と欠点は、また書きますね。

<リンヤン>
 そうなんですか!30年の時間差とは、初めて知りました。なぜ60年代以後激しく形骸化になったのですか?その一つの理由は経済の発展? 中国でも、90年代までおそらくたくさんの本物は民間に隠れていました。でもこれからの行く方向は?ものすごい経済成長のなかで、世代交代の問題など、どうなるでしょう・・・ 
 お時間のあるときでいいので、少しずつ教えてください。感謝です。

<生島先生>
 なぜ日本の武術は戦後、形骸化が激しくなったのか? それは本物の武術家が少なくなったこと、武術は社会に必要とされなくなり、伝統武術を学びたいという人が少なくなったこと、競技武術が盛んになったこと、などが理由としてあげられると思います。経済中心の世の中になったことも、大きな原因の一つでしょうね。
 中国は共産党の時代になって、やはり武術は必要とされなくなりましたが、それでも人々は比較的に時間に余裕があったように思います。私が82年に初めて中国を訪れてから数年間は、朝の公園は武術の練習をする人であふれていました。経済が発展してテレビが普及するにつれて、その姿が少なくなっていくのは残念でした。
 現在は経済中心の風潮がますます激しくなって、さらに一人っ子政策という条件が加わって、ますます武術の継承は難しくなりましたね。30年後には、多くの流派が失伝している可能性が高いと思います。

<リンヤン>
 やはり環境の変化は大きな要因ですね。「伝統武術は社会に必要とされないのは」、とてもよくわかります。必要性を見つけだして、さらに作り出すことは、次の課題かもしれません。
 私の北京の友達は、自分の子供をテッコンドウや空手を習わせてます。一方、たくさんの武術学校が出来て、子供たちはその中で統一したプログラムを勉強しているけど。これも、どうかと思います。
 自分の師父王先生の回りに、この何年、弟子が数人しかいません。継承していかなきゃの心得もあるにもかかわらず、どうしても自分の仕事は忙しくて、なかなか現実に練習を励むことが難しいみたい。
 私自身も、長年練習を続いてますが、どう使うのかな?の疑問が出てきています。
 「修心養性」の一義をよく理解してますが、武術本来の実用性はどう生かすのか?その実用性がないと、本来の武術ともいえないし・・ これから継承していくといっても、自分はこの問題を解決しないと、人に伝えるときは難しいと思います。
< リンヤン>
 うちの長男の合気道を見学して、初回なのに、5歳の子供にも関わらず、組み手と使い方を教えるのをみて、カルチャーショックでした。中国武術(少なくとも私が習うもの)では、まず架式から入り、基本基礎を習い、使い方までなかなか教えてくれません。
 目の前の長男の組み手をみると、うらやましいと思ったくらいでした。
 私の単純な疑問:生島さんのような日本武道を熟知した方からみると、中国武術の魅力は何ですか?を知りたいですね。。
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<生島裕>
 さて、明治以降の日本ではどんどん伝統武術が失伝していきましたが、なんとか次代に残そうと努力した人たちもいました。最も有名なのは、柔道を創始した嘉納治五郎です。
 彼は東京帝大(現在の東京大学)を卒業した秀才ですが、滅びかけていた伝統的な柔術のいくつかの流派を修行し、近代的なルールを考案して柔道という、試合を中心とした新しい「武道」を作り出しました。
 個々の技は伝統武術のものですが、危険な技を廃止し、自由に技を掛け合う「乱取り」(中国武術でいう散手、散打ですね)を稽古の中心にした結果、大いに普及してオリンピック競技にも選ばれました。
 古流の剣術も同じように面、籠手、竹刀を使用する「剣道」へと姿を変え、生き残っていくことになります。
<生島裕>
 伝統武術の教授法の欠点は、保守的、閉鎖的で能率が悪い点でしょうか。多数を相手に同じ内容を教えるという教授法はなく、少数、あるいはマンツーマンで教えるので、多くの生徒を育てる事はできません。
 また、危険な技や秘伝とされる教えも多いので、内容を公開できない点も普及を妨げています。
 さらに、高度で有効な技術はあるものの、習得に長い年月がかかるため、現代人には向いているとは言えないですね。苦労しても、見返りはあまりありませんから。
<生島裕>
 柔道や剣道のように、技を掛けあって試合を行う武道は、そのルールの範囲内で技が発展します。トレーニング法も進歩し、それなりに強くなっていきます。しかし、技術は単純化し、伝統武術の持っていた精妙な身体運用や東洋医学に基づいた鍛錬法は失われていき、西洋スポーツと大差ないものになっていきます。
 何も残らないよりはいいのですが、本来の伝統武術とは似て非なるものになってしまったわけですね。

 ” 中国武術(少なくとも私が習うもの)では、まず架式から入り、基本基礎を習い、使い方までなかなか教えてくれません。”
 これは中国武術の教授法の特徴ですね。
 形意拳でも「入門先站三年桩」といいますが、まず基本の架式(姿勢)でじっと立つだけの練習を何年もやらせて、基礎を養成しつつ生徒の素質や人格を見るんでしょうね。
 じっと立つだけの練習や、八卦掌の走圏のようにただ歩くだけの練習は地味で味気ないのですが、正しい練習法を習い、その意味と重要性がわかってくると、とても有効でありがたい練習法だと思えるようになります。そこまで行くのに四、五年はかかったりしますが……
 中国武術の優れた点は、こうした一人で行う優れた練功法が豊富に存在することです。逆に、日本では鍛錬法(練功法)は秘密になっていることが多く、合気道の創始者である植芝盛平も自分の練習は決して人に見せませんでした。植芝の師である武田惣角も絶対に鍛錬しているところは見せなかったので、弟子はみな自分で工夫するしかありませんでした。二人で行う基本技しか教えなかったんですね
.<生島裕>
 合気道の二人で行う基本技も、安全な部分だけ公開されていて、危険な技や当身技は隠されています。それでも、相対練習を日常的にできるのは、中国の人から見れば新鮮でしょうね。
 日本武道は相対練習が中心、中国武術は単独練習が中心。だから、ある程度どちらかの武術を修めたら、他のものを経験してみるのはいいことだと思うんです。
 私も、八卦掌を一人でやっている時には気づかなかったいろいろなことを、合気道(私の場合は八光流柔術や大東流合気柔術)で学ばせてもらいました。逆に、八卦掌の練功法が合気道に非常に有効なことも理解出来ました。
 どちらも気血を沈め、丹田を中心とし、肩の力を抜いて全身の力を一致させて行う、という点で共通しています。歩法を重視し、動きは円を描き、相手の力とぶつからない、という点も同じ。練習のプロセスだけが違うので、補い合うんですね。

<リンヤン>
 とても勉強になりました!日本の柔道、剣道の由来、よくわかりました。古伝武術が残していくためには、どうしても一部を犠牲させてしまい、せざる得ない選択だったでしょうね。
 ·中国武術と日本武術の教授法の違いも、よく理解できました。先日、王先生に電話で、自分の「孤独の練習」の悩みを話したら、「そうですね、昔からこのようにやってきたものですからね。。」と言われました。  ·  
 合気道も本当にやりたいけど、次男の世話はまだ手が離れられない状況です。でも生島先生の説明を読んだら、ますますやりたくなりました・・・  
 八卦掌について、ようやく師父がいう「冷、弾、脆、快」の感覚が、少しだけ出せたような気がします。これも走圏と基本架式のおかげだと思います。
 またまた教えていただきたいことがたくさんあります。飽きずにお付き合いお願いいたします。
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<生島裕>
 僕に答えられることなら何でも答えますので、いつでも聞いてください。合気道、練習できるようになるといいですね。

*後記
 以上のは8年前の記録です。あの時に5歳の長男はいま13歳になりました。
 この後、私は生島先生のお勧めに従って、合気道を数か月体験しました。その年の冬、十分なウォーミングアップをせず、いきなりのバク転練習で、人生初のぎっくり腰になりました。それからトラウマになって、合気道を触れていません。
 長男はいま剣道にはまっています。日本の古武道と中国武術の違いについて、彼の質問は後絶たない。。。
 英語圏で暮らしているので、彼にこの文章を早く完全に理解できるようになってほしいです。

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