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効果や効能を言わない理由は、「新しい発見の可能性」の方がもっと大事だから。

 一水空を教えるとき、
 「こうしたらこうなる」「これは何々に効く」、「これさえすれば、痩せる、治る、細くなる…」のような言い方を避けるように心がけています。

 理由は単純、断言する自信がないからです。
 専門医でもないし、科学的な根拠やデータも持っていませんから。
 それに、他人のからだについて、無責任に保証するようなことは、できません。
 指導の際には、
 「無理せず、痛くならないように気を付けましょう」、
 「自分の身体の状況をたしかめながら、ゆっくり丁寧にやりましょう」、
 「身体の声を聞きながら、今、ここにいる自分を実感するようにしましょう」
と声を掛けています。
 
 こんな風に、私が先祖から受け継いだ呼吸法を教え始めて、25年以上が過ぎました。
 これまで、「リンヤンのレッスンを受けて怪我した」ということは一度もありませんでした。
 一方、みなさんから色々嬉しい報告を頂いてます。実際にあった体験談なら、他の生徒さんにもお伝えするようにしています。
 最近、こんなメッセージを頂きました。

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 この方は、宮崎市在住の男性で、一水空歴5年目。今は週に三回のオンライン練習に参加しています。
 高脂血症の数値が、これまで最も高いときは1000を超えていたのですが、
いまは正常値まで落ちたとのこと。これは教える側の私たちもびっくりでした。
 
 そして、もうひとつ不思議な報告を受けました:
 東京都調布市の対面教室から。
 この方は毎日体重計に乗る習慣があります。体重測定のほか、骨密度もチェックしています。なんと、コロナで一水空教室がクローズした二週間の間、骨密度が落ちてしまいました。その後、教室再開と共に、また骨密度が上がりました!
 ご本人も、そこで指導する講師にとっても、驚きの結果でした。

 そういえば、いまから20年前のことです。あるとても熱心な生徒さんが、毎朝必ず私の呼吸法を1時間以上やっていました。
 すると、一年間で体脂肪が40台から10台に落ち、体重も10キロ以上減ったといいます。ほかの運動は何もしないので、毎朝の呼吸運動が一日で最大の楽しみだそうです。
 
 以上紹介したのは、ごく一部の例に過ぎません。
 しかし私は、たとえこのような実例がもっとたくさんあったとしても、  「一水空をすれば痩せる!」のような宣伝文句は絶対使いません。
 なぜなら、一人一人の心身の状態、生活環境、意志、努力、考え方...
それらすべてが違うからです!

 どこまでやるのか、どれだけやるのか、それはそれぞれ個人で決めるものなので、教える側が、その結果まで分かるはずがない、と私は思います。
 これは、教え始めたころから今まで私の一貫した信念です。

 しかし世のなかは、そうではないみたいです。
 先日、ユタで断捨離した方から日本語の書物を頂くことがありました。
これは健康に関する何冊かの本ですが、このような文句が次々に目に入ります。

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 なぜ「××と人生がうまくいく!」のように、断言できるのでしょうか?!

 そもそも、一水空の目的は、見た目の良さを求めることではありません。
 「即効」も「絶大な効果」も求めません。
 「即」よりも、「ゆっくり」、「少しずつ」、「反復」を大事にします。
小まめに、地味に、目立たないように、確実に。。

 表面的な様々の「効果」を越えた、その奥にある普遍的な力:
 自らの感覚と感性、自主性、主体性、根気強さ、自然との同調。。。

 一水空は、呼吸法の実践によって、これらを養うことを目ざしています。

 実行する前から,いかに美味しそうな効き目の「果実」があるかを見せかける方法と、
 「どんな効果があるのか、分かりません。すべては本人の努力次第です」という方法。
 この二つの伝え方、最も大きな違いはどこにあるでしょうか。
 それは、相手に「主体性」を持たせるかどうかです。

 上に例としてあげた方たちは、予め具体的な効果を期待していたのではなく、ただ一水空は、「気持ちがいいから」、「身体も心も喜んでるから」、その声に素直に従ってやっているだけでした。
 それを続けて行くうちに、本人も予想しない結果が次々と現れました。

 ところで、宣伝文句の「絶大な効果」「超~効く」について、これは一体  「どんな効果」なのか? と、真剣に考えたことがありますか?
 「これさえすれば、絶対効く!」という短絡的効果に惹かれて、言われたままに行う。引っ張られていくだけではありませんか。。
 仮に本当にそのように効果が得られたとして、さあ次はどうしますか?
 また別の「絶大な効果」を探すのですか?
 結局、この行ったり来たりの繰り返しで、長期的な目的が分からないまま、地面をぐるぐる回る蟻さんになっていませんか?何かをずっと探し続ける人生になっていませんか?「低料金、短い時間で、絶大な効果」の罠にはめられてませんか?
 短い期間で得たものは、短い期間で消えていくという法則、皆さんも理解されていると思います。
 自分の本当の願いは何でしょうか?人生という長いスパンの中で、真剣に考えてほしいですね。

 人間には、一つの生物として、大きな可能性が潜んでいます。
 様々な喜びと悩み、苦しさと楽しさ、家族、職場、社会との関わりや、地球との繋がりなどなど、こんなに総合的で複雑な生命体なのに、「これさえすれば、人生がうまくいく!」のようなひとことで自分を閉じてしまい、他の可能性を途絶えさせてしまうのは、とても勿体ないことではありませんか?! 一水空は、身体の感覚を磨くことによって、自身の更なる可能性を掘り出すことを目標としています。

 最後に、私が長年参考にしている野口三千三先生の『野口体操・カラダに貞く』のなかの一部を紹介させて頂きます。
 
 ある運動の効果を、そして目的を、なぜやる前からはっきり決めてしまわなければならないのであろうか。 やらないうちに目的や効果が分かるはずはない。 どんな人がどんなやり方をするかによって、結果としていろいろな変化が現われてくるので、その変化が果たしてその人にとって効果と呼べるものであるかどうかは、その時、その人が検討してみなければ何とも言えないものであろう。 こんな効果があると誰かか言うから、そのような効果をあげることを目的に決めてしまってやる、ということの馬鹿らしさを知るべきだと思う。目的を決めてやるということは、理性的・論理的なことのように思える。 しかし、何かを目的に決めてしまうということは、それ以外のどんなことが起こるかもしれない「新しい発見の可能性」を自ら捨て去ることになる。 やれば必ずいい結果が出るとは決まらないし、予想もしないたいへん重大な意味をもつ、貴重なことが発見されるかも知れないのだ。 狭い固定的な「筋肉の収縮力の量を増すこと」だけに、自らの行動を、自ら枠をつくって、自ら閉じ込める必要がどこにあるのだろうか。

一水空 は、”こうしたら、こうなる”というより、
”こうしたら、どうなるのかが分かりません。”の方が、素直に言えて、気持ちは楽です。
答えを探っていくのは、あなた自身です。
答えを探っていく過程こそ、また大きな魅力だと思います。

世の中の流行りや、ビジネスの罠にはめることなく、
自分の内側に向けて、隠されている自分の才能を磨き出す為の助けをしたい、
これは一水空の願いです。

一水空 https://yishuikong.com/


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