あきらめることで見えてくること

みなさん、こんにちは。まっきーこと石牧です。いつもはつらつらと暑いですね〜とか書いているのですが、思いつかないのでさっそく内容に行きますww

1. あきらめるとは

あきらめると聞くと普通は「諦める」という文字を思い浮かべますよね。英語で言うとgive  upとかsurrenderみたいなイメージかなと思います。でも、ここで言うあきらめるは「明らめる」のことです。物事を明らかにして、それありのまま受け入れること。最初にこの「明らめる」を見つけたのは修証義の一文だったので、恐らく仏教の考え方なんだと思います。

生きているといいことも悪いことも、いろいろなことが起こると思います。もちろんすべての出来事を経験と捉えれば悪いことなんてないのかもしれません。でも、いざマイナスのことが起こったときに、なかなかそのように捉えるのは難しい。どうして感情は揺さぶられるし、執着してしまうから。

例えば、好きな人に振られたとき。そりゃー辛いと思います。もうだめなんだ。気持ちを切り替えて前を向こう。そんなこと頭でわかっていいてもなかなか心はついてこない。忘れようと思えば思うほど忘れられないし、なんなら夢に出てきたりする。そんなときに少しだけ見方を変えて「明らめて」みると少しだけ心が軽くなるのかなーと思います。異性の数なんてそれこそ星の数ほどある訳だし、もしかしたらもっといいご縁が待っているのかも知れない。振られたという事実は変わらないかもしれませんが、視座を少しだけ変えるだけで状況を冷静に見ることができる。そんな風に物事を捉えられたら生きることが少しだけ楽になるかも知れません。

2. 自分を振り返ると

長いこと障害者をやっていると否が応にも諦めないといけないことがあります。エレベーターを求めてホームを端からはしまで歩くとか、段差を避けるために遠回りするのはくらいは当たり前。一番嫌いなのはフードコートみたいなセルフサービス。自分ひとりじゃ絶対に行かないのですが、友達なんかと一緒に行くと手伝ってもらわないといけない。気にしなければいいのかも知れませんが、やっぱり気を使って我慢をすることはある訳です。それは妥協なのかも知れない。諦めなのかも知れない。でも、確実に普通のひととは違う視点でものが見えているんだろうし、こんな経験がどこかで役に立つかも知れない。明らめることで見えてくることがきっとある。そんな風に考えると我慢しなければいけないことも少しだけ楽しくワクワク感じることができるかなーなんて思います。

ちなみに、偉そうにこんなことを書いていますが、なんで自分ばっかりーって思ったり、イライラすることも多々あるので、私も視座を変えてうまく明らめられるように修行の毎日ですww

今日はこんなところで。


楽読のインストラクターやってます♪興味があったらぜひ!


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